piercing pie pye

制作、新しいグラフィックに着手。ほんとは新シリーズに手をつけるつもりだったのだが、アイデアが降ってきてしまったのでこちらを先に。手をうごかしているうちに気分がアガってきて、思わずフォントまで買ってしまう。べつにいまやってるものにつかうわけでもなく、しかもドルが高いのに!

ジョー・ブレイナード『ぼくは覚えている』読みはじめる。ほぼすべての行が「ぼくは覚えている」からはじまる回想小説。さいしょに?!と思ったのは以下。

ぼくは覚えている。地下鉄でのはじめての性的な体験を。知らない男(こわくて顔は見れなかった)が勃起したペニスをとり出し、ぼくの腕にあて、上下にこすった。ぼくはとても興奮して、いつもの駅に着くやいなや、あわてて電車を降りて家に帰り、自分のペニスを筆に使って油絵を描こうとした。<<
まず「ぼくはとても興奮して」におまえも興奮するの?となり、末尾の「自分のペニスを筆に使って油絵を描こうとした」でとんだ変態野郎やないか!とわらいがこぼれた。本編がはじまって5ページ目の記述で、それまでにもはじめて勃起したことだったり、下着のなかにソックスを詰めこんだことを回想したりと予兆はあったのだが、ここで一気にドライヴがかかった感があった。50頁ほど読んだのだが、とにかく性的な思いでが多く、当初想定していた作風との差異を感じたまま読みすすめている。

ラジオの企画のためにピロウズをもりもり聴いている。まとめて聴いていると「夢」というモチーフがさわおの詞世界のなかでは重要な位置を占めていることがわかる。がんばるきもちが湧いたときはそれについても書いてみたいが、いまは選曲だけで精いっぱい。B面集がでているとはいえ、シングルのカップリングなんかは聴いたことのない曲があったりしてたいへんだ(いい曲が多すぎる! むしろいい曲しかない! すごいぜピロウズ!)。途中、Qさんの捕獲した野生のピロウズの話が思いだされ、レディバードガールのイントロを聴くとわらってしまうようになった。これまでにラブをつけていた曲をプレイリストにぶちこみ、かるいふるいにかけて60曲まで絞る。ここから5曲選出し、先に抜きだしてあるとくにお気に入りの5曲と足してベスト10をつくる。スピッツナイトのことが思いだされる。


さわおといえばさわおとしおりがいい
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夜、しめ鯖(できあい)、もやしの味噌汁(海老出汁)、白菜長ネギ豚の生姜白だし蒸し。うまい。

その日のうちの何時間かをいっしょに過ごしたあとに日記を書きあう日記WSがしたい。どうですか。なおこの発想は以下の記事から。ダイアログでそういうイベントをやりたい。


▼まばたきをする体、はてなブログ時代はめちゃくちゃ読んでいた、
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これは2023年の9月につくったものです


だれかにむかってなにかをやるとき、その相手がよろこぶだろうと事前に考えることができるのは、「わたしがそうであるから」と「あなたがそうであるから」のふたつの理由がある。

ピロウズベスト10をしぼっている際、いいなおい!となるとついったで曲名検索をするのだが、そのたびに今日の一曲、みたいや診断メーカーの結果をついするバスターズがあらわれ、それをひとりひとりミュートする羽目になる。おれはおまえらの曲を聴いてうごいた心が言語化されたものが読みたいのであって、ファン心理を利用して広告を閲覧させるカスWEBサービスの使用結果=告知ついが読みたいのではない。歌詞botは目に入るたびにブロックかミュートしているのでいまではほとんど表示されなくなっていることにも気づいた。

選考のためのプレイリスト、編集してもなぜだがある特定の状態にもどってしまい、めちゃくちゃイライラする。

デヴィッド・ロウリー『A GHOST STORYア・ゴースト・ストーリー』(2017)。はずれ。公開当時からよい評判を目にしていたので期待していたが、ぜんぜん好みでなかった。ヘンテコな映画は好きなので刺さる可能性もあった気がするが、そうはならなかった。

全編(ちがうところもあったかをたしかめるための再見はしていない、星空のショットとかどうだったろうか?)が角丸フレームによって切りとられている本作は、その四角の異質さをもって幽霊のまなざしとわれわれも同期し、スクリーンに映るものごとをながめることになる。冒頭になんどか印象的にあらわれる宇宙のカットは、星のまなざしをそこにかさねあわせるための準備体操であり、多用される長回しもむろん、星-幽霊の時間のあらわれとして選択されている。通常の人間生活を超越した、スーパーロングな時間感覚。じっさい、劇中のタイムスケールも壮大であり、それらの経過を示すいくつかのショットには技巧を感じた:同一のショット内で家をでていく女をなんども反復するところ、窓外に雪が降り、のちに木々に緑がもどっていくショット。布を被ったオバケの形象もチャーミングでありながら、途中、ホラー的演出が為されるのがおかしく、イカしたミックス感覚だと好ましく思った。地縛していた家が重機によってつぶされ、「もう来ないみたい」と言葉をのこして去っていく隣家の同類のさびしさも心を打つものがあった。

長回しのシーンなど、静けさに重きを置くのかと思いつつも、冒頭から音楽がうるさいのも特徴的だった。演出にていねいな幽霊へのむすびつきがほどこされているのに、なぜそこはそうでないのか。幽霊ではなく、映る対象の心情こそが仮託されている音楽のつかいかたは甚だ疑問である。疑問といえば、本作では台詞を極力排した作劇法がとられている一方、途中で人類-太陽系史を芸術と絶滅をテーマにして語る男の長台詞があって、それがかなり「説明的」に作用しているのもこれまでの積み重ねが台無しになるようでどうなの?と思ってしまった。長回しにわたしがもとめているものが本作の長回しにはないというのも大きい気がする。

夜、もやしとチーズの粉物、大鶏排。うまい。鶏はもっとうすくしたほうがよかった。