きみオアダイ

家に帰り、HさんQさんと酒盛り。RやH、Mさん、Kくんも続々とやってき、ブルーハーツハイロウズ、熱唱タイムに怖い話からいい話まで、それぞれの沈没浮上をくりかえしながら朝6時まで盛り上がる。とりわけ、みんなの語るいい話が印象にのこっており、それぞれの人生におけるうつくしいワンシーンが、電気を消したまっくらやみの部屋のなかにいくつも花を咲かせていてかなりよかった。

帰っていくひとらを見送ったあとは多少の仮眠をはさみ、たくさんの軽口をたたきあいながらHさんQさんといっしょに家をでる。快晴。夏は去った。さらなる街へとくりだすHさんと駅前で別れたあとは前回のリベンジということでふたりでデカ盛りステーキ屋へ。人っ子一人いない店の前の状況が示すのはざんねんながら本日もお休みのサイン(定休日!)。すこしひきかえして同じ通りのとんかつ屋へ。布袋。先客はだれもおらず、店の隅には埃がうずたかく積もっているのを見て「失敗したか?」と疑念が湧くのをおさえきれなかったが、ていねいな時間を経てでてきたロースカツをひとくちかじってたどりついたのはまぎれもなく「うまい」の高みであった。衣のザクザクしていない、むしろほろりとほどけるような、おそらく低温調理のやわらかいカツ。漬物が腐敗一歩手前、もしくは二歩踏み込みぐらいの漬かり具合だった点がかなり気がかりではあったものの、また食べたいと思わせられるとんかつだった。大将の声量がものすごいのも愉快ポイント。あとから入ってきた常連客(そうであることもそのビッグボイスによって早急に察せられる)との会話がつつぬけであった。「金曜日の夜もあけてくださいってお客さんに言われるから店をあけてたけど、だれも来ないんですよ」。そんな話をQさんと交わしつつ、改札まで送ってもらって帰路につく。バスの車内でこの文章を書いている。ハーモニーの1章を読みおえる。電車の車内でこの文章を書いている。「アイスクリーム!」と言いながらどうやら自販機で買ったセブンティーンアイスを食べているのであろう、大声でひとりごとを言うおじさんがとなりの号車におり、それを耳にしながらわたしは、自身がタクシーのなかで信じられないぐらいのでっかい声で絶叫していたという証言を思いだす。わたしとおじさんはこの同じ空間においてたがいを想像しあうことはないが、わたしが単独で想像することはできる。その記録を、このようにのこすことだってできる。

母のつくった牛丼に半熟卵と刻み生姜を足して食べ、大量の衣服を洗濯し、シャワーを浴び、同人誌の宣伝をしてニャンとねむる。

思いだし1。チェンソーマン145話の展開が急激ではやくつぎの話をくれ!状態になる時間が東京滞在中にあった。

思いだし2。スルーロマンス18話で描かれる「ひとを嫌いになる心のうごき」の解像度がすさまじくて衝撃を受ける時間が東京滞在中にあった。

思いだし3。帰りの車内で読んだ食に関する以下のつい、以前書いた「勉強してないわー」と同様の発見があった。同様のシチュエーションの漫画の広告がでてくるのをこれまでになんども見かけているが、そんなに起こる事例なのか。家父長制との関連はそうだろうと思うけれども、「無自覚な特権意識と共感性や想像力の欠如が根底にある」を「男性」にむすびつけるのはマジで意味がわからなかった、単なる自己紹介を性差にむすびつける性差別以外のなにものでもない。同人誌の発行前に読んでいたらこれをもとにして原稿を書いていたかもしれない。


▼家事をしないにんげんの所作という気もするね、偏見?
togetter.com



観劇前に食べた炒飯&餃子


夜、あぶらげの味噌汁、明太子、豚入り卵、ひき肉茄子玉ねぎのにんにく白だしジーマージャンヒハツ炒め。うまい。かねふくの明太子をはじめて食べた気がするが、そしてかなり期待して食したが、想像を超える味ではなかった。期待しすぎた。

春ねむりの『INSAINT』、かなり好きかも。ポリティカルなフレーズをいかにして刺すかという点でこの歌唱のありかたはめちゃくちゃいいのではと思った。ポストパンクのほうにサウンドが向かってくれればよりおれはハッピーになるだろうが、そんな願望は拒絶してくれとも思った。過去のアルバムも掘っていったがベリナイスだった。セカイ系ってつまり絶対抒情詩に直系なんじゃないか?

ヒロトのやってるバンドの曲はサブスクにないのか、、とApple Music内を検索してしょげた。

Apple Musicといえば、再生が1曲ごとに止まって、しかもなにをしてもその症状が消えなくてめちゃくちゃイライラしていたのだが、いつの間にかなおっていた。ロスレスハイレゾ、ストレスレス。