抱きしめのポーズ(視覚と触覚の差異)

アシッドマン(の大木)が好きなバックホーンの曲といえば「空、星、海の夜」であるというのがバックホーンファンにとっての定説であるが、バックホーン25周年に寄せるコメントのなかで実は「未来」の方が好きだという告白が為されていてわらってしまった。バックホーンのメンバーにもこれまで言えなかったという。今後は対バンの際に未来が披露されるのだろうか。

祖母をデイサービスに送りだすタイミングで蜂が勢いよく玄関から侵入してくる。ニャンズがいる手前、いったいどう対処したらいいのかとひとまずリビングにひっこむが、羽音を聞きつけてニャンたちは玄関につながる扉の前で興奮している。撃退するにせよ逃亡させるにせよ扉を開けるしかないので意を決して踏みだすがそこにすがたはなく、箒を装備していると階上からブンブと音がきこえ、ニャンたちが駆けあがっていく。窓ガラスにアタックを仕掛ける蜂と、それにアタックを仕掛けるニャンズ……。両脇にニャンを抱え、自室に放って蜂との1vs.1の状況をつくり、窓をあけて逃してやる。このところ生き物を逃してばかりいる気がする。

基本的に表現の自由派なので#barbenheimerも好きにしたらいいやんけと思ってしまう。個々間での相手の尊厳を傷つけるふるまいに関しては憤ったり異を唱えたりするが、もっとひろくてでかいところ(?)でのおふざけに対してはおもしろかったらまあいいじゃんと考える傾向がわたしにはある。SNSは個々間のやりとりなんて成立し得ない場なので、不謹慎なネタに関してはだいたいまあいいじゃんのきもちでながめている。

そもそもインターネット・ミームに対するリテラシーのなさ、というところに尽きるのではないか。ツイッタラーはついったのことをインスタやフェイスブックなどに比して低俗な場所として卑下する傾向があるが、じっさいはそこまで汚くはなく(だからミームに対して火が上がる)、ちいさな頃から汚泥の詰まったドブ川のような場所で泳ぐことをしなければそれは身につかないのではないかと思ってしまう。

アートのラブへがLPに!の報にブチアガるが税込7700円の表記を見て高すぎだろと思った。輸入盤でもこんなに高くないぞ。高いといえば、バックホーンの最新シングルもライヴ映像収録のBD付きとはいえいちばん安いもので8000円台、ジャケT(単独で販売してくれ!!!)付きだと12000円を超えるのを見て、世代的に当たり前なのかもしれないがもはやティーンが聴くバンドじゃないんだなとかなしいきもちになった(ここで思いだされるアジカンの「U-23サポート」と題された若いひとらのための安いチケット、、ゴッチはえらすぎる、おれもそういうにんげんでありたい、

夜、いんげん茄子豚の味噌ポン酢炒め。うまい。このポン酢はミツカンの緑のびんのやつではなく、ヤマサの茶色い液体の昆布ポン酢である。



個展、来週29-31も在廊しています、ぜひすべりこんでください、詳細は以下


https://www.tumblr.com/seimeikatsudou/723504641322713088/bolnights
seimeikatsudou.tumblr.com


久野遥子『甘木唯子のツノと愛』読む。デビュー作を含む、2010年から2017年に駆けて描かれた短編3本と3話構成による1連作のまとまった初期短編集ということになる。この収録作品の描かれた時代の「距離」が、たとえばそこで生じた絵柄の差異(変化)によって西村ツチカの『なかよし団の冒険』を想起させるものとしてわたしには感じられ、しかしその(漫画としての)クオリティは表題作であり連作であるさいごの作品がずば抜けているので、中盤まではひさびさにハズしてしまったか?と思いながらの読書となった。たまたま『ドレスアップ!こくるん』という漫画をついったで読んだのをきっかけに手にとったので、前半を読んでいる際には絵柄のちがいにひっぱられたのもあるかもしれない。

絵が巧いのはまちがいないし、魅力的な芝居がひとコマひとコマのなかでなされ、さらにはコマとコマのつらなりもあざやかで目にたのしいのだが、そこまで漫画がうまい!とならなかったのはなんでなんだろうかと思いかえしている。著者が制作の基盤を置いているであろうアニメの時間感覚と、漫画の時間感覚のちがいがここで考えられる気がする。台詞の流れがよくわからない箇所があったのも関係している? 漫画の単行本としてはこれ1冊がでたきりなので新作が読みたい。


▼『ドレスアップ!こくるん』はここから読める、とにかくかわいい、このキャラクターを原作とした児童文学はあるようだが、「第1着」とあるように漫画として連載される可能性はないのだろうか、、
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この「かわいさ」に対する執着、たとえばわたしはプリキュアシリーズが好きだが、そしてプリキュアはみなかわいいが、わたしの思う「かわいい」とのズレを感じるのも事実である。プリキュアたちのファッションに着目した『プリキュアコスチュームクロニクル』を見ても、プリキュアのファッションはべつに「おしゃれ」ではない(とわたしは感じる)ので、そのあたりに核心がありそうだ。自分がいちばん好きなカルチャーは「ファッション」であるという自覚が、この「かわいさ」をかたちづくる基礎になっているということか。