つかれに羽根を与えたら

『坂下あたる〜』を読んだ勢いのまま、町屋良平『ほんのこども』読みおえる。去年の秋頃に7-8割まで読んで止まっていたのだった。とりあえず後述の動機もあってひさびさにおこなった感想ついをひっぱる。

坂下あたると、しじょうの宇宙、詩手帖(作中では『現代詩篇』)の投稿欄にはじめて佳作が載ってよろこぶさまからはじまって、自身のそれを思いだすようなくすぐりがあった。同時期の投稿者や選者の詩の引用にも空気のよみがえりを感じた。入り組んだ代弁の構造をもちいた失語からの回復に胸を打たれた

文学に身を捧ぐあたると、彼の語りこぼしたもので詩作する毅の関係性は『ほんのこども』におけるあべくんと私にも類似を見いだせ、またそれは「ふたりでちょうど200%」なありかたともいいうる。「なんかそれって……文学みたいじゃねえ?」「かいたけどかけなかったものを、読んでくれるのは人間だ」

ぽみをはじめとするキャラクターのポップさを削ぎ、ゾンダーコマンドという史性を導入する(つまりフィクションを引き現実を足す?)ことで、岸田将幸中尾太一、乗代雄介なんかを読んで感動するのと同質の、しかし異なる方向性で「読む/書く」の共振が前景化したのが『ほんのこども』なのだと思った

このふるえの現場こそが「私」と名づけられるものであり、言葉(-物語-小説-etc.)を語り(読み)なおすたびにそれは融解し、撹拌され、流血する。その「恥ずかしい」したたりが町屋良平の小説だ。この格闘の先をまだまだ読みたいと思った。個々のその徹底こそが「文通」を可能にする条件であろうとも


やる気があれば付箋を貼った箇所を列挙して何か書こうと思っていたが記事の投稿日までにその気概は生みだされなかった、ついを生むやる気を起こしたのだから並大抵の作品よりもパンチを喰らったのはたしかである、一点だけ『坂下あたる〜』から触れておく。

あたるが小説を書くってことはそういうことだと思う。プロになりたいとか、受賞して書きつづける権利を持ちたいとか、そういうことはもちろんあると思うけれど、シンプルに、書いているから読まれたいっていう一対一の願いが込められてるはずだよ(…)ほんとうに「読める」たったひとりのひとに出会いたいんだと思う。そういう祈りを込めて書いているんだと思う。

先日の東京滞在中、TさんやQさんに問われた「なぜ書きつづけ(られ)るのか」という問いは、この台詞によっても返答できるなと思って付箋を貼った。先に触れた岸田将幸も、中尾太一も、乗代雄介も、そういうことをやっている読み手/書き手であるからこそ、わたしは惹かれるのだ。何かを書いているあいだにわたしは「願い」や「祈り」を考えることはしないが、それが自身のうちにあることはまちがいない。

夜、ポークステーキ、トマトとレッドキドニー添え。塩胡椒小麦粉まぶし、オリーブオイルとバターでやる。仕上げに醤油も回しがける。うまい。



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ひとり暮らしの状態にもどればそんなことに気をわずらわされずに済むのではやくそうなりたいが、いっしょに暮らすにんげんのなかにひとたび亀裂がひらけると在宅ワークの能率が著しく落ちるのでほんとにかんべんな、というきもちの日々。自室をしごと部屋にすれば多少は解決するかもしれないが、ここには根づかないという意地のようなもの(ここで想起されるのは、「会社/社会」に身をあずけわたしたくないという意志によって莫大な通勤時間を抱えながらも会社の近くに引っ越すことをぜったいにしなかったHさんのことである、わたしに実験映画や詩について教えてくれたやさしい先輩、しばらく連絡を取っていないが元気にしているだろうか)がそれをわたしに許さないのだった。

自分のついったがずいぶんまえから告知マシンとしてしかうごいていないことにめちゃくちゃ腹が立つ(他人のついを読むのが好きなくせに、自分は告知しか投げていない事実への反感の昂り)ので、感想ついをふたたび投げるようにしてもうすこし人間性を通わせようかなと思うのだけれども、そうすると思考が140字に規定される感があり、それはそれでいらいらしてくる。ブログがあってよかったね、わたし。

深夜のエネルギーに任せて本を爆買いする。漫画を中心に新装版のプリキュア小説ぜんぶやバディウの愛の世紀など。つぎの爆買いタイミングでは大長編ドラえもんを揃えたい。5分冊になっている藤子Fの全集で買おうかと思っていますが、こっちのほうがいいよというのがあったら教えてください。

SNS上で燃えている反性暴力の啓発ポスター、イラストレーターがたなかみさきではないことをしってそっちに衝撃を受ける。こんなことがまかり通っていいわけがないだろ!!!!!!とブチギレついをしそうになるが代わりにここに書いておく。AIによる絵柄の「学習」もすでに問題化しているが、イカれた時代が到来しているなと思う。

ずーーーーーーっと放置されているワーク、イライラのつのりがものすごくなってきた。X(自由、平等、反差別……etc.)を標榜して、あるいはそうしたものにシンパシーをもって活動しているにんげんが、身の回りで起きたそれらの侵害に対してはだんまりを決めこむ構図をいまもSNS上でよく見かけるが、マジでそれ。わたしが放置されているということは、わたしがやりとりをしていたさらに先の相手のひとらも同様に放置されているわけで、余計にさいあくだ。

夜、コンビーフとコーン入りマッシュポテト、そせじ、しめ鯖(既製品)。うまい。しめ鯖がよく食卓にでるが、わたしはべつにそんな好物でもないのだよな(小学生の頃めちゃくちゃハマっていた時期があり、その反動で嫌いになっていた時期も長かった、いまはふつうの感情をしめ鯖に対してもっている)。

夜、レタスと挽肉のナツメグビネガーオムレツ。

作業に着手してからの仕様変更はキビシーと思いつつ、スケジュールにまだゆとりがあるので巻きかえしを図っていく。


▼フライヤーと展示グラフィックを担当しています、ぜひお運びください

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