死体はいつもぎこちない

水魔総集編。Aパートのナレ(担当はグエグエのひと)の〆後にグエグエの告白を受けたスレッタの「え、」をつけてCMに移行するユーモアにわらう。一瞬期待の念が起こったウテナ的総集編ではなかったとはいえ、たのしく観れるよくできた構成だった気がする。何よりSNSウケに特化していたのが「時代」という感じがしてよかった。

憩いの場としてまどろみにきてくれるのはよいのだが、猫たちがわたしの脚を戦地にして爪立て牙剥き取っ組みあうので無数の掻傷が肌の上にできる羽目になる。そのからだでシャワーを浴びると脚全体がしみしみにしみる。猫たちのもとにもどると、傷が癒える前に新たな傷がその上にかさねられる。この現象はなにかしらのメタファーになると思う。

夜、あぶらげと人参の炊き込みご飯、あぶらげとわかめの味噌汁、厚揚げとしいたけのねぎ豆鼓醤炒め、ぶりの唐揚げ。うまい。

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アップルミュージックで流れてきた、ホワイト・リーパー、いまやっているワークの気分に合う気がする

Hさんと通話。制作のもろもろについて話す。元気がでる。

猫の足にうんちがついていないかを確認するのがモーニングルーティンになった。ついている場合、洗面台にお湯を張り、せっけんをいくらかその水面に向かってプッシュし、したらば猫を投入する。むろん猫はやめてけれと抵抗するので、それをねじふせながらチャパチャパ洗うことになる。びちゃびちゃの足のまま逃げ回るので、うっかりすると脱衣所は水まみれになる。片方だけを連れだすともう一方がしきりに鳴くので、二匹を肩に乗せて移動したりもする。硬いうんこをさせなければならない。

夜、豚バラ大根茄子長ねぎの炒め煮。しょうが味。うまい。あぶらみと大根およ茄子の相性よ。辛子明太子と筋子も食べる。明太子ごはんをほおばっていると、猫が膝からわたしを仰ぎ見てものほしそうな顔をしていた。



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父親の家父長制への甘えがきもちわるいがしかし、わたしも圧倒的に「家族」に甘えている。これは「物語」になる。

ガスヒーターをだす。温風のあたる位置が猫たちの定位置になりそう。今日もうんち足を洗う。朝と夜のにど。

夜、ほっけ、ピーマンと塩昆布の白和え。うまい。

各種ワークが立てこんでくる。11月後半はがんばり月間になりそう。途中まで制作していた案をたたきこわして別案をつくる。はじめはつくりなおさないほうがよいか?と思いながら作業していたが、すすめていくうちによりよくなり、安心する。

祖母がぐったりしており、聞くと朝から嘔吐が止まないという。と、妹が報告してきた。ので、様子を見にゆく。80歳を超えた年齢での嘔吐を想像するに、胃がちぢみあがる。意識などははっきりしているので、気をかけつつ、そのまま横たわらせておく。

妹が猫のおもちゃとともにケーキを買ってきたので紅茶を淹れ、いっしょに食べる。

夜、豆腐と長ねぎの味噌汁、豚舞茸玉ねぎのにんにくしその実炒めおからパウダー和え。うまい。

チェンソーマン6話。vs.永遠の悪魔回2。サスペンスフルな展開をいつもよりもローな感じで描いているのがいい。タバコを食みながら「何かに寄りかかって生きたい」という姫野パイセンを、じっさいに窓枠に寄りかからせて喋らせる手際。彼女とアキの中華屋シーンでの細やかなカット割・フレームワーク。「アニメ的」なギャグ成分を一挙に引き受けさせられたパワーのつかいかたもたのしかった。コベニちゃんの芝居が雑魚そうな感じに演出をかけられているのもいい。

ワークの合間に読んでいる町屋良平『ほんのこども』は200頁を過ぎたあたり。『ふたりでちょうど200%』を読んでいて興奮した文のうねりがよりきょうれつに波打っていて、たいへんさを感じる。このたいへんさは、読むことの難儀であり、書くことの感嘆であり、その綯い交ぜである。くわしくは読みおえたら書く?

うんち足を洗っている最中に逃走=闘争本能フルマックスのガチ爪を喰らい、左手小指に深傷を負う。脚上でのじゃれあいとは比べ物にならないほどの威力で、めちょっく!であり、ショッキング!である。そんなことをしでかしておいて(あるいは、そんなことをしでかさせるような真似をしたわたしに対して)、眠いニャアと膝の上にやってきてすやすやしだすちゃっかりものぶりがまた愛らしい。完全に猫バカである。いまなら保坂和志の小説をさらにたのしめるようになるかもしれない。日を隔てて母も流血していた。