おまえが死んでください

息抜きにひさびさにポケモンを起動。あたためていた雨パをつくって何戦か潜るがあまり成績が芳しくない。ディンルーをペリッパーでワンパンしたときは爽快だったが、いちばんつかいたかったうるおいボディヌメルゴンがまったく活躍してくれないのだった。うまいつかいかた、だれかおしえてください。

夜、カレー(レトルト)。焼きチーズちくわトッピング。うまい。

だいたいの見通しがついてくる。明日一気に切り崩せば東京滞在の予定が確定できそう。

黒沢清の新作が蛇の道のリメイクだという報。新文芸坐蜘蛛の瞳との二本立てで観(しかも「続編」である蜘蛛の瞳の回から)、内容はほとんどおぼえていないがずいぶんおもしろかった記憶がある。

妹が本格的にスケートボードをはじめるらしく、先輩ライダーであるHのもとへ行くというのでいっしょについていく。彼のやっているちいさなセレクトショップ(?)のなかで2時間ばかりおしゃべりする。向かう道中、車窓からは満開の桜が散見された。春である。

夜、めかぶしゃぶ、豚もやし。うまい。

タイムラインにポリシックスハヤシのインタビューが流れてきて、フェスで観たことはあってもアルバムをちゃんと聴いたことないなと思ってApple Musicで再生したのだが、わたしのあたまに浮かぶのはわれらがNさんの歌唱で、またいっしょにステージで、いやスタジオでもいいから演奏したいなと思うのだった。アンプからでっけえ音をだしてえよな。

ワークの追い込み中、べつのクライアントから追加の入稿作業の依頼が入り、けわしさが増す。間に合うのか!? 入稿後、いつもならすぐ連絡が返ってくる印刷会社からは何も返信がなく、胃痛がしてきた。

夜、めかぶと卵スープ、ほか惣菜。

予定していた部分まではもろもろフィニッシュするが見通しはつかず。ギリギリのたたかいがくりひろげられている。



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めざめると印刷会社から連絡が来ており、安堵する。残務もパキパキとすすみ、もうひとつの入稿もぶじおえる。打ち合わせの日程も決まる。とんぼがえりになるが、濃い滞在にしたい。

夜、塩麹漬け豚肉のソテー、ほうれん草と玉ねぎ添え。うまい。

いつもとちがって早朝の電車で向かうので起床に若干の不安があったが猫たちの起きろコールおよび起きろ踏みつけもあってぶじめざめ、ごはんをやってシャワーを浴び、髭を梳かして都へ出発する。朝8時から開店しているはずの地酒ショップはコロナの影響で10時開店になっており、危うく空手で向かう羽目になるところだったが改札前の土産屋に日本酒の棚があることを目ざとく発見したおれは韋駄天のはやさでそれをひっつかみ、時速200kmのスピードで目的地へとひた走った。このおどろくべき所作は、「袋は有料で、紙袋とビニール袋がありますがどちらにしますか?」と言う店員に「ビニール袋で」とかえした言葉を、声帯から鼓膜までのわずか1メートルにも満たないへだたりのあいだに置き去りにしてもういっぽうの選択肢に変換してしまうほどのはやさで為された。大江とチュツオーラを携帯書としてもってきてはいたが、はやおきにより発生した眠気はわたしに一頁たりとも本をめくらせることがなかった。

都にインし、まっさきに向かうは愛しき立ち食いそば屋チェーン店・小諸そばである。前回の来訪時に行きそびれてしまったくやしみを解消する、季節のかき揚げ丼セット。桜えびと白魚のかき揚げに加え、春のさわやかな歯ごたえがする筍天がのっていた。そばをすすりつつ壁にかかった値札を見上げると、よく通っていた会社員時代よりだいぶ値上がりしており、それぞれの生活のきわまりに思いを馳せた。

ふくらませた腹をたずさえ、道中のパン屋からずらずらとのびる行列を横目に、印刷博物館はP&Pギャラリーにて「世界のブックデザイン展2021-2022」。過去に1回行ったきりだが、都下で開催されるデザイン系の展示のなかでもっとも質が高く、もっとも霊感を与えてくれる展示だと思っている。コロナの影響で作品点数を減らした展示構成とはいえども、たっぷり4時間ほど「本」を堪能した。金刷り、銀刷り、空押し、袋とじ、切りこみ加工……と贅を尽くした造本の数々に目がつぶれる思いがし、こんな潤沢な予算のあるプロジェクトに関わることができたらと夢想が捗った。デザイン系の専門生、あるいは学部一年生的な集団がちょうど同じタイミングで観にきていたが、興味なさげに「いまなら帰ってもバレないんじゃね?」としゃべっている会話を耳にして「もったいねえ、、」と思うなどした。

とりわけわたしの目を奪ったのは中国のデザイナー・赵清(趙清)による『瀚书十七』。「最も美しい本コンクール」に選出された、これまでに自らがデザインした17の本を1000頁超(なのにすこぶる軽い!)にまとめて紹介する小ぶりな判型の大著である。化粧裁ちをしていないぼろぼろの小口と、きれいに切りそろえられた小口がたがいちがいになって綴じられた、ちいさな獣、あるいは美しい蛾のようなたたずまいにひと目で心を奪われてしまう。スミベタの見開きには毛羽だった紙屑が夜空の星のようにちらばって、またも琴線をゆさぶるのだった。「紙で本をつくる」とは、それを読む体験ごとかたちづくることにほかならない。

惜しむべくは感染症対策のために展示室内ではゴム手袋を着用しないといけない点で、「本」を考える/語る上で必須の要素である「紙」の質感をじかに感覚できないのは致命的ですらあると思った。

近美もはしごしようと思っていたが、想定の2倍本に触れ親しんでしまったので予定を変更して渋谷のhmv&books(またも本だ)へ。小雨の降る街を横切り、エスカレータを上がって目に飛びこんできたのはスカスカになった本棚で、え、閉店?!と目をパチクリさせるがレイアウトの変更途中のようで、つまりは売り場面積縮小が為されており、どちらにしろかなしみが押し寄せた。アート・デザイン棚はもとのサイズを維持していたが、人文も、文学もだいぶせせこましくなっている。詩歌なんてそこらの書店に毛が生えたレベルの品揃えになっていて、なみだがでる。来るたびにイベントをやっており、いつも店内に長蛇の列を目にするが、書店が生きのこるみちとはこういうことなのかもしれない。井戸川射子『ここはとても速い川』と町屋良平『坂下あたると、しじょうの宇宙』を買い、阿佐ヶ谷に移動する。