不快の請求、にじいろの唇

デヴィッド・リンチツイン・ピークス』(1990-1991)2ndシーズン1話(8話)。ひさびさのツイン・ピークス。衝撃的な幕切れをした1stシーズンだったが、そのショックを緩和するようなホテルマンのジジイがよかった。腹を撃たれて床を転がるクーパーに対してチップをねだり、ウインクし、サムズアップするおふざけぶり。いっしょに観ていた祖母もわらっていた。ほか、ボビーと父の会話シーンで他の客が微動だにしないのが気になった。会話がおわるとちゃんとうごきだす画づくり。リアリティなんぞよりも演出を優先するこういうスタイル大好き! 夢のなかでおまえと和解したんだよと語る父の話になぜかボビーが感動しているのにもウケる。おまえらめちゃくちゃ仲がわるかったじゃねえか! 整合性などくそくらえ! 驚かし系のどっきりびっくりエンディングには1stシーズンにも似たようなおわりかたがあったなと思いだした。というか、2月の半ばに配信がおわると表示されており、詰んだ。観る気がだいぶ削がれる。プリキュア映画と同じように配信終了日即ふっかつしてくれ! ユーネクスト、たのむ!(ちょうどこの記事が更新される翌日に配信が終了する)

牧原亮太郎『屍者の帝国』(2015)。原作は未読。資本主義による「死」の取りこみ(死者の軍事利用・労働力化)が進行した19世紀の社会状況下で、「思考は言葉に先行する」という仮説のもと「魂」の有無を問う伊藤計劃(どこから円城塔の発想が関与しているのかしらないのでこう書く)の想像力にはマジヤバいと興奮するのだけれど、アニメ自体にはそこまで心惹かれなかった。エンドロール中に流れる声も、(円城塔からの、あるいは本作からの)伊藤計劃へのメッセージとして受け取ることで感動している自分がいて、つまりはじめからそのような視線で本作を観ていればもっとたのしめたのかもしれないが、そうした作品外の要素に囚われた見方は邪道だとも思い、微妙な感慨が渦巻いた。関係性のオタクがよろこぶ構造が本作のドラマの肉をつくっていて、かといって劇中に積みかさねがあるわけでなく、むしろ過去を描かないことによってその関係を想像させるタイプの語りがおこなわれているため、そこに「萌え」を見いだすようなにんげんでないわたしはやっぱり弾かれてしまう。

写真や炎を編集点とする巧みなシーン転換や、ゾンビ化した死者のアニメーション、ハダリーの纏うドレスの透け感表現、エンドロールでも紹介される背景美術などには目を惹かれた。疑似霊素やネクロウェアといった用語のセンスも卓越していた。個人の欲望という行動の駆動装置が、それぞれのやりかたで「魂」を追い求める敵味方に流れており、その構図もたいへんたのしくながめた。このあたりを掘り下げれば作品の印象が変わりそうな気配はあるが、そこまでやろうというきもちは湧かない。キャラに愛着が湧かないから? 観ている最中は退屈せずにわりとたのしんでいた気がするが、観おえてみるとそうでもなかった。そんな感じがのこった。Project Itohのなかで唯一劇場で観た村瀬修功虐殺器官』(2017)と同じくらいのよさ。なかむらたかしマイケル・アリアス『ハーモニー』(2015)もちかぢか観る。

apple musicで流れてきたpasteur lappeがむちゃくちゃいい。カメルーン系のアフロ・ファンク。

雪をかく。

夜、帆立と干し海老と鰹節のオムレツ。


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よくはたらく。ヴィジュアルワークはたのしい。いいコラージュができる。

このところ、トイレに入るたびに床や便器に付着した祖母の糞尿の処理をしている。汚れたさまを目にするたびにきもちは滅入るし、回をかさねるたびにイライラが募り、つい本人に怒鳴ってしまって自己嫌悪に陥る。怒鳴るなんて行為をここ10年ほどほとんどしてこなかったので、こうした感情の生起自体にもおどろいている。なんど言ったってなおらない(もはや意識してどうこうできるレベルではないのだ)のだから怒ってもしょうがないのだが、掃除をおえ、居間の座椅子に座って日がないちにち韓ドラを見ている本人にいざ対面すると、わたしのうちにふくらんだ感情は自制心を破壊し、いきおいよくあふれでてしまう。

よくはたらく。

デヴィッド・リンチツイン・ピークス』(1990-1991)9-12話。観る気削がれつつも、せめて2ndシーズンは観おえようとがんばる。リンチみたいな風貌の子供がでてきてわらう。ジェームズがギターを弾き語り、そこに彼の恋人であるドナと、元恋人のいとこであるマディがコーラスで参加するというシーン、まるで顔面でセックスをしているような官能性があり、おもしろかった。ジェームズとマディの「顔のやりとり」に嫉妬して、ドナが部屋をでていってしまうのである。すごすぎる。長尺なのがまたいい。

つづく10話では、保安官ハリーに対していけすかないFBI捜査官のアルバートが非暴力と愛を説くシーンにオープニングテーマ曲を被せるのがひじょうに冴えていた。まんまと感動しそうになっている自分がいた。子供がえりしたネイディーンとエドの歌唱シーンも狂っていた。ツイン・ピークスは関係性の複雑さによって物語を構築している節があるが、11話においても判事、その助手、グルメ批評家、ジェシーの兄(?)と続々と新たな人物が登場し、パワーを感じた。12話のお助けインディアン・ホークの痛快なエンタメ作劇もよかった。