図体と結界

今月にわたしたちの住む家に越してくる祖母のアパートの掃除に、両親とともに早くからでかける。先にごみ処理施設に立ち寄り、重機がゴミ山の鉄屑をゴゴガガ移動させるさまをながめ、わたしは「はたらくくるま」のことを想起する。深夜にそのことを思いだし、ねむたいまなこでゆーちゅーぶでMVを見る。メロが変わる前にさしこまれる、早口ぎみの少年少女たちのコーラスが耳をくすぐる。窓の外ではアームの先がクルクルとまわって、こんがらがった鉄線がその爪のあいだに丸めこまれている。わたしたちはテレビを処分しに来たのだ。リサイクル料を支払い、コンビニで飲み物を買って、いざ祖母の住まう部屋へ。ドアをひらく。マスク越しでもつたわる「ムード」が、鼻腔をすぐさま占領し、視界にも影響を与える。

ゴミ屋敷である。かなしいが、げんじつだ。足腰が弱り、視力や聴覚といった感覚も衰えた老体にとっては、しかたのないことだとも思う。床に敷かれた褪色したゴザには、得体のしれない滲みがあって、思わず孤独死という言葉が脳裏を過ぎる。窓辺には黴が繁茂し、冷蔵庫には年代物のボトルが不動のまま居座っている。中身はしれない。軍手を装備したわたしたちの手によって口を縛られた45ℓのゴミ袋は、いとも簡単に天井に達し、六畳一間の空間を縦横にわたって占有していく。積み重なったモノの山を見て、ひとの末路はこのようなものなのだ、と直感する。自身の終焉も幻視されるようだ。4時間ほど片づけたところで体力が尽き、当初はまだ居残るといいはっていた祖母を説得してとともに帰宅。シャワーを浴び、即寝。わたしは家族からの心ない言葉のいちいちに傷ついている。


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本日も3人で祖母宅の片づけ。においがおわってんだよな(これも心ない言葉かもしれない)。窓と玄関を開放し、グワッと2時間足らずでおわらせ、帰宅シャワー外食コンボをキメる。作業中、あたまのなかで流れていたのはバックホーンの「ハッピーエンドに憧れて」。「こんがらがってる日々のように 聳え立つ部屋はゴミ屋敷」「割と陽の当たるこの部屋を 黙々とただ片付けてゆく そしていつかは!」。

100均一で精密ドライバと、メタリックカラーのクリップを購入。前者でゆるゆるのメガネをなおし、後者は何かしらのZINEの材料にすることを決める。家に帰って2-30分ほど仮眠したのち、炊飯、きゅうりのごま油だし醤油かつおぶし和え、チャーシューとキャベツと寒天のスープをつくる。へんな時間に食事を摂ったので腹が減らず、家族それぞれバラバラに夕食をする。

メールを見ると、入金の連絡とあたらしいしごとの話がきており、ありがたいきもちになる。捨てる神あれば拾う神あり、めっちゃ信じてるんだおれは。