くちづけの貧弱

祖母らとラーメンを食べ、桜を見にゆく。せんじつの祖母とはちがう祖母である。今日のラーメン屋は全国的にも名店と名高い店、評判にたがわぬおいしさに舌鼓を打った。とにかく麺がちょう好み。曽我製麺。肉そばを食べたが、チャーシューはこんなにいらんなと思った、つぎからは控えようか。肉肉しいものと、脂脂したものが混在していたのもマイナスポイント。花のほう、桜は少々散ってはいたが、目に麗しく、胸が弾んだ。祖母とふたり、ふらふらと歩いてはパチパチと写真を撮る。しだれているタイプである。ポスターでは巨木の様相だったが、じっさいに見てみるとそうではなく、広告マジック・撮影マジックであったことが理解された。なお、この祖母は今月末から同じ屋根のもとに住まうことになる。幼いころに、もっともわたしとよくいっしょに過ごしたひとである。こうした時間をいまの年齢で設けることができるのはうれしい。

夜は油味噌と、豚肉、茄子、人参、木耳、卵で中華風の炒めもの。味つけはコチュジャンオイスターソースをベースにてきとーにやる。豚バラ肉をつかったので脂による照りがすごい。

ラジオ、話題の多さに比べて時間的にコンパクトにまとまった。むしろその題材の数が、話す分量を制限したといえるかもしれない。


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富野由悠季機動戦士Zガンダム』11-13話。大気圏突入(11話「大気圏突入」)、核爆発(12話「シャトル発進」)、とドラマをつくりだす大物の登場がつづく。カクリコン・カクーラー(なんていい名前だ!)やロベルト(苗字がないのかよ!)、7話「サイド1の脱出」でのライラ・ミラ・ライラ(なんていい名前だ!)もそうだが、あっさりとひとが死んでいくのも印象的だ。先にゲームなどで人物をしっていることが、その存在をさらにおおきくわたしに感じさせており、それが喪失感・あっけなさを増幅させている。また、何かの「続編」をつくる上で、本作はかなり参考にすることができるのではないか? 登場人物や設定を引き継ぎながらも、新しいフォーマットがそこには敷かれており、話がすすむにつれてポツポツと前作のひとらがでてくるつくりはひじょうによくできている。次回14話のタイトルは、前作『機動戦士ガンダム』の主人公の名が題された「アムロ再び」である。なんとアツい展開だろうか。

観おえたのち、草むしりをする。草花が好きとラジオでのたまった舌の根が乾かぬうちに、家のまわりで青々と茂り、色鮮やかな花びらを見せている草花たちを「雑草」としてつぎつぎにひっこ抜いていく。ひどい話だ。クローバーの群生を「地中茎滅殺」などとぶつぶつぼやきながら片づけていると、芋虫やらなめくじやらダンゴムシやらムカデの赤ちゃんやらがわらわらとあらわれ、生物の隠れ家になっているのだなと感心した。それらを殺めぬように気苦労しながらあらかたむしりおえ、黒くなった軍手を脱ぐと、爪と肉のあいだに土が奥深く入りこんでおり、その掃除にひと苦労ふた苦労する。痛みにひいひいいいながらも、縫針や爪楊枝の先で肉をほじくってまで除去をしたのだった(ちょうどささくれができており、その裂け目に真っ黒い土塊がつまっていたのである)。指の皮がベロとむけた箇所もあり、ひりひりと赤みを見せていた。