残像雑念雑菌雑貨

昨晩作品を提出したコンペが、事前の通知も事後の報告もなしにさらっと〆切をひと月のばしていて、そんなんありかよと思っている。受け取りましたの連絡も、数時間で送りますという自動メッセージを見てからすでに24時間以上経っているにもかかわらず音沙汰なし。大丈夫か。不安だ。

このところやけに咳がでる。大丈夫か。不安だ。

自分のさみしさでできたあなぼこをみたすためだけにほかの生きものを飼おうとするのはとても傲慢だと、飼っていた金魚が死んだと書くブログを読んで思った。この話は反出生主義にもつながる。わたしのこの傲慢さを、どのようにして飼いならすのか。ペットや子供よりもまず、自身に向きあったほうがいい。

Zガンダムにおけるライラ・ミラ・ライラの以下の台詞について、自身に浴びせられるろくでもない発言と照合して考えたときに、いろいろと含蓄があるのではと思いかえし、検討する。

ジェリド、油断するな、奴は只者じゃない。……そうか、私は今、あの子は只者じゃないと言った。このわかりかたが無意識のうちに反感になる。……これが、オールドタイプということなのか。

彼女はカミーユの尋常ではないつよさに接し、「只者じゃない」と口走る。撃墜される直前、その思わずでてしまった言葉を事後的にとらえなおし、ニュータイプとしてのカミーユをとらえる際の直感のありかたを、自身のオールドタイプ性からあらわれたものだと実感して散っていく。ここではニュータイプ的な感応と同時に、その内実の至らなさが問題になっている。「わかり」まではライラもカミーユも同一線上に立っているが、「かた」こそがニュータイプとオールドタイプを隔てる分断線になっているのである。

さて、わたしが自身の体験をもとに想起したのは「無意識のうちに反感になる」という部分である。話し手(書き手)の礼を失した発言を受けた際に湧き上がる反感が、もしもわたしがニュータイプであったならば相手に伝わってしまう(いや、相手がニュータイプでなければ伝わらない?)。そうすれば、「わかりあう」ために機能するはずのニュータイプの性質は立ちゆかなくなる。速度の危うさがここには見いだせる。



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階下の洗濯機が立てる水音が心地よい。外山恒一『政治活動入門』を読んで朝を迎えた。文字がでかいし読みやすい文体なので一気に読みおえてしまった。我々団のHPに載っているような内容が、コンパクトかついまの時代性も踏まえてまとめられている。全国の大学1年生に配ったら、多少は世のなかがよくなる機運が高まるだろうか、読みおえてそんなことを妄想した。くわしくはラジオで話す。ここでも何かにつけて触れることがあるだろう。