賛美の中心

乗代雄介『旅する練習』を読みおえます。物語のおわり、その突き放しかたにきょうれつな一撃を喰らうのですが、つまりこれは生と死のあいだに「忍耐」の場所があることをはっきりと伝えているわけです。これは書く/読むの断絶を象徴的にあらわすものともいいうるかもしれません。本書に書いてあることを十全に読めたとは思えない読みぶりで読んでいたので、くわしくはもういちど読んでから考えたいと思います。

もういつからかわからないほど前からウンウンうなっていたテキストがようやく書き上がります。フィー、と息を継ぎつつ、すぐさま印刷のフェイズに移ります。ぶじに刷り上がるでしょうか。ぶじ製本できるでしょうか。

献立、手羽先と大根の煮こみ。酒みりん醤油昆布茶。よいお味です。大根が好評でした。

ラジオ。今回、ひさしぶりにアニメや映画についての話題が0で、鑑賞中のメモがまったくない状態で話していたのですが、それが功をなしたのか話題のフィードバックループ感(言葉のつかいかたあっているか?)がよいグルーヴを生みだしていて、話している側としてはよかったです。「編集的連接」の話をしましたが、まさに放送中もそれが生じているような、そんなムードがありました。取り上げた作品を読んでいるひとがリスナーにいてくれたのも好影響を与えてくれました。感謝です。もう30回になるので、何かしら区切りを入れたい気分もあります。


f:id:seimeikatsudou:20210611002251p:plain
402


10回以上チャイムを連打する音でめざめ、なんぞやと起きると祖母の友人(?)たちがその元凶として玄関の前におり、半ば安部公房の『友達』のようにして家のなかへ上がり込んできて、サイテーのいちにちのはじまりかたを迎えました。総勢4人、うちひとりは幼少期のわたしと面識があるようでしたがむろんわたしはおぼえておらず、口をひらけば「そろそろ嫁さんをもらう歳だな」とズカズカとろくでもない言を発し、しまいには禁煙の室内で煙草を吸いはじめる始末。「お父さんお母さんには内緒な」などとひとを子供扱いしながらスパスパやっていますが、あまりのことに何も言うことができませんでした。よくついったでも話題になる話ですが、即座にキレる技術が必要だとつよく思いました。いまのわたしにはキレ味が足りない。彼らが帰ったあとに、祖母の話をよくよく聞いてみると、闖入者のうち半数は面識のないひとびとで、マジで安部公房じゃんと思いました。フィクションもおそろしいですが、げんじつはよりおそろしいです。「次やったら殴る」の精神をふるいおこしてゆきましょう。

印刷製本作業でいちにちがおわり、料理はできませんでした。どちらもトラブルつづきで、おまけに左手の親指にカッターで深く切りこみを入れてしまいます。明日から東京ショートステイだというのに最悪です。画面のなかであればなんともない(というのはいいすぎですが)のに、自分のからだから血が流れているのを見ると卒倒しそうになります。

ブログをめぐっていると、わたしよりも北に住むひとと、西に住むひととが、マリトッツォという単語をそれぞれ記事のなかに書き入れていて、なんだなんだとググると、わたしもせんじつテレビで目にしたクリームのつまったパンがあらわれました。

記事のストックが現在に追いつき、なおかつ疲労の蓄積がダラスバイヤーズクラブなので、連続更新は本記事をもってひとまず終えようかと思います。407日間つづきました。しばらく休みます。