航空的口腔はこう食う

寝る前、松永豊和『パペラキュウ』を読んでいた。連載が始まったころにちらとのぞいた記憶があるが、せんじつOらと電話したときにおわったよと教えてもらって、へえと思いひらいたのだった。目覚めてからもまた読み、最後の頁にまで行き着いた。9年がかりの3200頁、つまりは1冊160頁の単行本換算で20巻くらいあるのを、ひと晩で読んでしまった。この時間的非対称性に何かを感じないわけがない。中身に関してはとくにない。ラジオで触れようと思う。

田豊『トロピカル〜ジュ!プリキュア』3話「自分を信じて! キュートいっぱい! キュアコーラル!」。1話から継続して作画がずっとつよいのに加えて、ローラの「自分のかわいいを信じられなくてどうするのよ!」やキュアコーラルの「これがわたしのかわいいだから!」など、早くも名台詞が誕生していた。いやほんと、自分のかわいいを信じていこうなというきもちになる。べつに「かわいい」でなくともいいのだが。ひとにあわせてしまうさんごと、自分の意思を臆せずに発する真夏の対比がぐれいとな脚本。教室というちいさい空間で対峙する同調圧力になんて縛られなくたっていいんだよいう子供たちへのメッセージ。担当はシリーズ構成の横谷昌宏、絵コンテは佐藤順一プリキュアを冒頭から観るのがスイート以来なので近年のスタイルがどうなのかしらないが、本作は気合の入りようがちがうのでは?などと思う。映画予告のサマーのくずれた顔面にわらう。


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報いたいという感情。いま、生活はいままでになく安定している。まったく「自立的」ではないが、この盤石な土台の上でしかできないことを為すにはいましかない。わたしに信を置いてくれたひとたちのために、なにごとかを成したいのだ。あなたはまちがっていないと、わたしのふるまいによって証したい。

朝、味噌汁と鮭フレークと生姜昆布で朝食を済ませ、和合亮一『続・和合亮一詩集』を読む。70頁くらいまで。和合さんとはにどほど会って喋ったことがあり、本書にもでてくる息子の大地さんともいちどお会いして言葉を交わしている。がゆえに、ここで描かれている父から子へのつよい思いが、普遍的な父から子へのものとしてではなく、実体的な父から子へのものとして迫ってくる。この極私性こそが、普遍性を生む源になる。