れんたる地平線

ハロワあんどラーメンの日。世にもめずらしき馬骨ラーメン。まあまあなお味。チャーシューが馬なのだが、ここは豚にその座をゆずってやってもいいのではと馬刺で育ったわたしなどは思う(贅沢な話だ)。満腹のからだを寒空にさらしながらかるく散歩し、クソのような間隔でしか電車がうごいていないがために3時間ちかくもはやい電車に乗ったので、受付時間まで図書館でカリグラフィの本を読んで時間をつぶす。アフガニスタンの展示が催されており、冷やかす。路上、ほどよく溶けのこった雪の上を歩くに、雪みちの緊張をなつかしく思いだす。

ハロワののちは市役所で保険料についての疑念を解消し、またも図書館へ。『文學界』の最新号を読む。吉村萬壱「幽囚のアレスモール」、宇佐見りんや乗代雄介らの選書などを中心に。柴田聡子のエッセイを読んでQさんの文体を想起する。「おばさん」にまつわるブレイディみかこのエッセイをおもしろく読む。

ルッキズムとは、速くてわかりやすいシンパシー・ベースだから全体主義と相性がよく、政治利用されやすい。

わかり手。話を自分の身に引き寄せていえば、デザイン、とくに機能から装飾へという意味でのポストモダンのデザインが跋扈しているうちには、ルッキズムはけっしてなくならないだろう。わたしはルッキズムはクソだといいつつもその担い手でもあるため、ジレンマにおそわれる。ルッキズムがどうのという地平ではなく、資本主義(ルッキズムアンチエイジングの蜜月、デザインによる差異化・価値の付与……)におんぶにだっこである点をこそ突かなければならない。すべての元凶は資本主義である! というのもどうかとおもうが、じっさいそうだろう。わたしたちはその「外」をしらない。


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まだ時間は余裕だろうとのんびり駅に向かったら、駆け寄るわたしをとりのこして目前で発車され、めちゃさむホームで1時間も待つ羽目になる。地方ならではの経験。走った所為で眼鏡が鬼のように曇る。さいあくである、とブログに書く。待っているあいだは富士日記をひらく。もっててよかった文庫本。読みすすめていると手先が急激に冷えだし、きもちにさびしさときびしさの色が灯っていく。今シーズンはじめてマフラーをおろしたというのに! 背骨がよく冷える。

家に帰り、ジャーマンポテトあぶらげネギ醤油をつくる。うまみちゃん。「しゃぶしゃぶ」と書いてあるサシだらけのめちゃくちゃうまそうな肉が歳暮で届いており、食べるのがちょうたのしみ。外箱に「冷蔵」とデカデカと書いてあるのに常温でだしっぱなしにしている父親の行動が理解できない。「冷蔵だしいいか」ってなんなんだ……。ひとといっしょに住むストレスってこれか!といまさらながら突き当たっている。