不実現性現実感(overdoes)

いちにちを回転させようと送ってもらった排気口のWS台本を読みはじめる。おもしろい。声をだしてわらう。こういうジャブの連発の技術に感動する。ほんとうにくだらないのに、そのくだらなさが胸に亀裂を走らせるエモーションにあざやかに変貌していくさまに驚愕する。執筆にいきづまったときのドーピング剤にしようと途中で読むのをやめて、というかいまもそのドーピング剤として手をのばしていたわけなのだが、町屋良平の『死亡のメソッド』を読みはじめる。こっちもおもしれー! キメの入れかた、場転のしかた、持続と跳躍の均衡のたもちかた、マジつえーとなる。そして読んでいると友人Oの文体を思いだす。たとえばこのような場面。

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(…)いっしゅんふたりで黙っていると、たとえば鳥井は菅をカメラだとおもって生きればいいのかもしれないとおもう。菅が鳥井をカメラだとおもう時間がながいように、菅の目をカメラだとおもえば? チラチラと菅のほうをみる。あいかわらず茫洋としており、ひとにいっさい緊張させない。歌をうたっている。よく聞こえないけど、歌謡曲のなにかを……。

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どうですか、とくにおわりぎわのほう、とOをしらないひとにいっても伝わらないのだけれども、こうして実在の人物をフィクションの人物にかさねる(あるいはその逆)経験は、つよい訴求力となって読者をからめとるものになる。いま、読者を変換したら毒車になってしまって、意識がそっちに傾いてしまった。あらゆるものを凌駕する現在のつよさ。

 

深夜、というよりももう朝だが、こういう時間帯になってくると筆がまわりはじめる。さいきんは迷惑メールがキャリアメールにたくさんとどく。住所変更をした途端、もりもりくるようになって。キャリア自体から漏れているのか。そんなことあるのだろうか。また、数年ぶりにスマホのゲームをインストールしてしまっている。ダンバインで高まったロボット欲を消化するために、ちょうどサービスがスタートしたばかりだったファイナルギアというゲーム、スパロボはアプリだとなんだかちょっとちがうのだよなと躊躇できたが、こっちはタイミングもあって崖から飛んでしまった、単に時間を吸い取っていくばかりだとわたしはしっているのに!

 


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夜明けを迎えてしばらく経った頃、メールボックスには本番生中出しOKの特別招待状が届き、「死亡のメソッド」をのこり5頁ほどのこして排気口の台本にもどって、さいごまで読む。むちゃくちゃおもしろい! 天才! 多重性をきちんと束ねることのできるたしかな技がすみずみにひかっている。素手ガンプラのパーツをちぎる描写がでてくるが、この本自体はていねいにバリ取りがなされており、つややかな塗装までも仕上げられている。そして劇中の「救いのなさ」こそが救いになるその構造、感服である。

 

わたしがいま書いている小説は多重性を束ねない方向に向けてその筆先を走らせているので、ふたりはちがう風景を見ているのだけれども、がゆえに、わたしのしょっぱい書きぶりが恥ずかしくなってきて、声にならないもどかしさが体内のむずむずするところをこみあげてゆく。物語をつよく志向したものをどこかのタイミングで書かねばと思う。まずはいまのものをおわらせねばならない。

 

だんだんねむくなってくるも、そのいきおいのまま「死亡のメソッド」も読みおえる。よい。メタファーに基づいた複雑性を、ほどよく作中でつなぎ、ほどきしながら、物語を柔くうねらせていく手つきの、きわどい場所をつかむ作法が抜群である。町屋良平を読むのは『青が破れる』以来だが、やはりめちゃくちゃおもしろい、文庫になったばかりの『しき』も買おうと思う。