今村夏子『星の子』を読みはじめる。
妹が梅流しという料理を炊飯器でつくり、食べる。うまい。ひさしぶりに他人の料理を口にした気がする。ほか、素麺チャンプルーをつくる。具材はそせじ・茄子・ピーマン・チーズ。姜葱醤ベースで味付け。うまい。
カスのようなテキストしか書けず、イライラする。
夜、牛丼、椎茸入り。温玉付。沸騰した湯に卵を入れ、あとは放置。もう少し白身がやわらかくてもよかったか。
本のコンペ落選。
夜、焼きブロッコリ、焼きほっけ。
乗代雄介「虫麻呂日記」と町屋良平『ふたりでちょうど200%』を読む。前者はしりまで。後者は4篇中2篇。4篇目は雑誌で読んでいるので実質3/4は読んだことになる。いまのところ、雑誌で読んだ4篇目がもっともよかった、と記憶と比較して思っている。
そとからひびいてくるコロコロをずっと床にロールしているような音、コリー・フィンリー『サラブレッド』における2階から聞こえる運動器具の奇妙な音のようなもの、いったいなにかと窓をあけると遠くの校庭からの鼓笛隊がうるさい。
夜、豚じゃが椎茸玉ねぎのオイマヨ炒め。
大前粟生『おもろい以外いらんねん』読む。清々しいおわり。アクリル板のくだりにおお、となる。このおどろきはわたしが小説にもとめているものではないけれども、でもじっさい目にするとおお、となるし、いいな、ともなる。大前の作品を読むのははじめてだが、町屋良平の感じがある、とも思った。
グラフィックのコンペ落選。こちらはトンボなしの不完全なデータを送っていたのでまあ、、となるが気が暗くなるのに変わりはない。これで結果待ちのたまはぜろになった。無、無効の日。
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金子薫『スカピーノと自然の摂理』、水沢なお『スウィミング』、奥野紗世子『サブスティチュート・コンパニオン』を読む。みじかい紙幅でどう書く(まとめる/まとめない)かという三者三様の差異をたのしく読んだ。水沢の作品は詩手帖の投稿欄で詩として読んでいたときよりも、こうして小説として読んでいるほうがすんなりと読める気がした。すんなりというか、好意的に? 本作が詩として銘打たれていたら(目次には〈掌編〉とある)、おそらくちがう風に読んだであろうわたし。
藤原無雨『水と礫』を読む。半分ぐらいまで。おもしろい。同じ時間がなんどもなんどもべつように語りなおされるというその構造が、都度におけるディティールへの着目をも促し、またゆらぎを生んで、複層的な作品世界を形成する。ファンタジーをリアリズムの世界になじませることなく置いているのがいい。その物質感が、語りの推進力にさえなっている。
トロプリ31話。オープニングにローラ(ラメール)が増えた!というよろこびと、くるるんナレーションの次回予告がヤバすぎて本編の印象が薄い。「かわいい」の話はさんご初変身回のほうが数段よくできていたというのもある。そもそも今回フィーチャーされているさんごのキャラ造形が苦手なのも影響を及ぼしているのかも。
リバイス6話。毎話毎話ちゃんとたのしめているのでこのまま継続して観ることになりそう。バイスを軸にふざけたおすテイストと、グングン飛ばしていく脚本のマッチ具合がよい。こうやって観客を置いてけぼりにするくらいの速度感、めちゃよいよなとターンエーの第1話を思いだしたりもする。
同人誌の会議。わたし以外はきちんと原稿をすすめており、すごいなと思う。カルチャーの話をとめどなくしゃべれる場がこうしてたもたれているのは、わたしの精神を吊り上げてくれる。フランスパンの話にはじまり、リングフィットアドベンチャー、濱口竜介、池澤夏樹、イルシットツボイ、オカダダ、コロナ、低みの見物、あるいはそれぞれの原稿の話などをする。わりといま、精神が底にあるので、回復の一歩になればいいと思う。不安がでかい。