寝かせつけるたましい

町屋良平「ホモソーシャル・クラッカーを鳴らせよ」。ブラック企業に勤務するなかで身体と精神を崩壊させていくふたりの男の話で、その渦中における社会-会社構造に対する入念な思弁が、そのまま作品の魅力としてあらわれている。地べたを這いつくばるような言語化のいとなみに、この世界をかたちづくる「われわれ」のすがたが映りこみ、わたしはかつて在籍していた会社のことを思いだしたし、行を読みすすめるにつれて、あのときの負の精神がよみがえってくるような痛みが内臓を走っていった。鳥井と菅のふたりを主人公に据えた連作のひとつであることが、本作の記述で重点化されていることと軽視されていることに支えを与え、それぞれの作品がたがいにリフレクションしているのが読んでいて看取できた。フレームの居場所。これは『水と礫』の同じ話をべつようになんども語りなおす構造とも似ていると思った。

夜、鶏じゃが味噌味。キャベツとコーンのミルクスープ。

アンダソン『ワインズバーグ・オハイオ』。読みさしてあったのを数篇読む。やっぱりすごい作品だ。こういう瞬間がわたしのうちにもある=書きたい、と思わせてくれる描写の緻密と鮮烈さ。生きたひとのすがたがある。

 そしてそのうち、ある雨の夜、アリスは思い切ったことをやってのけた。そのことが、彼女をおびえさせ、混乱させた。その晩、九時に店から帰ってみると、家はからっぽだった。ブッシュ・ミルトンは町へ出かけており、母親は隣の家へ行っていた。アリスは二階の自分の部屋へあがり、暗いなかで着ているものをぬいで裸になった。しばらくガラスに当たる雨音を聞きながら窓際に立っているうちに、奇妙な欲望にとらえられた。自分が何をしようとしているかも考えず、無我夢中で階段をかけおり、灯のついていない家のなかをぬけて、雨のなかへ走り出ていった。家の前にすこしばかりある芝生の上に立って、冷たい雨が体にあたるのを感じているうちに、裸のままで町の通りをかけぬけて行きたいという狂おしいまでの欲望がむらむらとわいてきた。
 何か創造的なすばらしい効果を、雨が自分の体に与えてくれるような気がした。こんなにも若さと勇気が身内にみちみちてくるのは、何年かぶりに味わう感じだった。跳びはね、走り、大声で叫びたかった。誰か自分以外にも孤独な人間をみつけて、抱きしめてやりたかった。たまたま家の前の煉瓦の歩道を、おぼつかない足どりで帰ってゆく男の姿が見えた。アリスはかけだした。彼女は荒々しい、やみくもな気分のとりこになっていた。
「あれが誰だって、かまうもんか。とにかくあれは孤独な人間なんだから、わたしはそのそばへ行くんだ」と彼女は思った。

都会で身を立てようと町をでていった生まれてはじめての恋人を、10年ちかくものあいだ独り身のままけなげに待ちつづけた女が、「二十七歳の年の秋のはじめ、」ふと「どうしようもないくらい不安な気分におそわれた」はずみに起こした「思い切った」行動。このくだりを読み、こうした衝迫を抱えていないひとなんか、てんでうそっぱちだと思った。「誰か自分以外にも孤独な人間をみつけて、抱きしめてやりたかった」。なんて切な情動だろう。どうしようもない自己への破壊衝動と、他者への行き場のない愛情がないまぜになった思いが、わたしの衣服を取り払い、わたしのからだを疾走させる。「あれが誰だって、かまうもんか」というやけっぱちのこころが、同じ孤独をもったにんげんのからだ目がけて、雨の夜を切って駆け抜けていく。まぶしい。本作の題には「冒険」と記されている。

夜、ひき肉茄子ピーマンの五香粉炒め。豆板醤、豆鼓醤、オイスターソースなどで中華な味。


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トロプリ34話。「いま」の強調。将来の夢を問われ、いま現在からその場所を見るのではなく、そのときの自分の心情にすべてを託すこと。「大人になったら、そのときのわたしがいちばんなりたいものになる!」。後半のドラマをつくるタメのような回として観た。この現在性を鍵に、後まわしの魔女や今回フィーチャーされていたエルダなどが絡んでくるのではなかろうか。ローラがどんな風になったとしてもずっと友達でいたいというまなつの思いは、「いま」性を未来へと転化させるような感情のあらわれであり、感動する。

子供の頃は消防車になりたかった、というまなつの父親のエピソードはヒーリングっど♡プリキュアの映画公開記念座談会でブンビー役の高木渉が披露していた話でもあって、おっ、と思った(なお、わたしは座談をトロプリ本編を観たあとに見て、つながってる!とおどろいたのだった)。

バイス8話。多勢力が一同に集う展開、大好き! 敵味方があいみだれることのたのしさ。アギレラが去り際にはなった「また遊ぼうね」という台詞に、妹もライダーになるのか? もしや家族みんなが? と妄想がふくらんだ。家族全体がたたかいの場に駆りだされる展開は、ザンボットを思いだすのでわくわくする。

いちどめのワクチンを打つ。個人の病院ではなく、いわゆる集団接種の形式。会場の体育館という場のなつかしさにある種の感慨を得るが、集団で管理される感覚、これが義務教育を受けたあらゆるひとのうちに経験されているのがおそろしい、とも思った。強制収容所の似絵。ベルトコンベアに載ったプロダクトのように指定される場所へとつぎつぎに案内され、とくにトラブルもなくすべての手続きをおえる。数時間経ち、腕が痛い。ターンエーの最終話がゆーちゅーぶで公開されていたので観る。泣く。

夜、春菊の豚バラ巻天ぷら、トマトとレタスのハリッサマヨネーズ和え。うまい。春菊の天ぷらは最後の晩餐にでてきてほしい料理のひとつ。ラブ。

一夜明けても腕は痛い。

夜、しじみの味噌汁、鶏とほうれん草のガーリックトマト煮。妹がいないのでバジルとオレガノをガン振りする。うまい。しじみの味噌汁、数年ぶりに飲んだ気がする。

さまざまなものから遠のいていく感覚がある。冷えている。腕の痛みに背中の痛みが入り交じり、左上半身がおわっている。