生を解体する/きみは耐えない

バックホーンの世界を読みかえす。メンバーがいまのわたしとほぼ同い年の頃にでた本だ。ものに触れるとき、さいきんはそういうパースペクティブがはたらくようになっている。夏のマニアックヘブンのプレイリストを聴きながら、それぞれのインタビューを拾い読み、全曲解説を通読する。なんどか書いているが、このマニヘブは、チケットをもっていたのにもかかわらず休出で行きそびれたものだ。思いだすたびにはらわたが煮えくりかえる。そういう経験はしないに越したことはない。これからはにどとしない。目上の長者からの誘いのすべてに対して「はい、空いてます」といっていたというエピソードを美談のように語るひとのすがたを、おれは憎悪と嫌悪のアナクロニズムの彫像としてとらえる。

自己の欲望に蓋をするような生を送りたくない。先の犠牲でのちの利を得るよりも、利なんていらないから犠牲のないように生きたい。なぜおまえの生きかたを他人にも同じように強いる? 夫婦別姓に反対しているひとに対する思いもこれにちかい。自己と他者をちゃんときりわけられるにんげんを育てることのできる教育環境をはやくつくってくれよと思う。わたしが自室をひらくのも、こうした教育的効果を生みだすための一装置として位置づけられるのではないか(ほんとうかよ?

朝は柄谷行人。ビンごみの回収時間がはやすぎてだせないor回収されない。はやくだしたとしてもなぜかうちのダストボックスは無視される。だからここ半年くらいは不燃物として処理されている。わたしの実家がある地域ではちいさな家電や毛布までもが燃えないゴミでだせるらしく、でかい家電以外は帰ってから棄てようと計画している(ごみ持ってくんなや(怒りマーク)と家からはいわれている。


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引継ぎの難関ポイントをいくつか突破する。あとおおきな山はふたつくらい? 業務の方をどこまでやっていくのかがもうのこり数日しかないというのに確定しておらず、大丈夫かいなと思うのと同時に、こういう点もつらかったのかなと思いかえしている。ジャッジする立場ももちろん過酷なものだと思うけれども、ジャッジできない立場に居つづけるのもたいへんなのだ。こんごはおれだけがジャッジしていくことになる。

夜、昨日ののこりをおかずにごはん、チーズ、目玉焼き、焼きオクラの鰹節チーズかけ。感情の持続はとてもむつかしいことだ。