プルオーバーのドーナツ

19時ころまで勤務。くるしい(?)話は先送り。都内の感染者が34人になったそう。東京アラートってなんだよ。やってる感の通知設定をオン! いろんな意味で定期半年ぶん買ったのはまちがいだったなと後悔している。帰宅後、洗濯機をまわし、ごはんを食べながらきのうでてきたAさんとはべつのAに人生相談をする。彼はすでにフリーランスで生きており、なおかつ実家ぐらしなので、わたさがこの先すすもうとしている人生の先輩なのである。月はじめなので躊躇なくビデオ通話。いつぶりだろう、元気そうな顔をしている。ちょうどきのう(!)完全にフリーランスになったそうで、タイミングを感じる。縁です、えにし。現状と思っていることを伝えると、実家ぐらしのメリットを再三説かれ、ほんとそうだよなとうなずきまくる。しばらくして、充電のパーセンテージの数値と減少がシンクロしてることにわらい、それから、スマホが熱くなってきたねといいあい、1時間すこしで通話をおえる。きもちが前を向く。もういつのことだか忘れてしまったようなむかしに発した言葉が、当時それを受けとったあなたから、ながい時間を隔てていまになってかえってくる。そうそう、そんなこといってたよねって、わたしの発した言葉なのに、他人みたいな顔をして、わたしのからだをなつかしがっている。


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ごはんは、豚キムチにクラッカー。プチトマトをインしている。昨晩、つかれて帰ってきて、食べようとパックを開けたら買って2日しか経っていないのに立派な白カビが生えており、あまりにもやばそうなやつは廃棄し、それ以外を水洗いしまくってジップロックに入れて冷凍庫に突っこんだものの一部である。ビールもひと缶あける。水シャワーを浴びて、シャッフル再生しながら佐藤多佳子『黄色い目の魚』を読みすすめる。エンタメ小説(と、何をもってかしらないが仮に区切るとして)を読むのはめちゃくちゃひさびさな気がしているのだが、通勤のわずかな時間でもぐんぐん頁がすすみ、『淵の王』で味わった引きこまれるたのしさがある。実家に帰ったらまいにち本ばかり読んで暮らしたい。


29日に送りましたメールがきた物品がとどかない。おなじ都内、コロナの遅配でこんなに遅れることがあるのだろうか。明日の夜まで待って、それでも届かなかったら問合せする。人生初の郵便事故というやつかもしれない。送ったひとはべつにわるくないだろうに、なんだか不憫だな/加筆:ぶじとどいた。消印がべつ日なのでなにかトラブルがあったのだろう。

勤務時間がそれなりにみじかいとまあまあ書けるなと思いなおした。そうしたものに左右されない生活をしよう。フライヤーオモテ面の方向性をふたつ考える。打合せに行く前はわりとポップな感じかななどと思っていたのだが、話をきいて、手をうごかしてみると、ある種の暗さがあらわれてきた。これがどうのびていくかはまだ不明瞭だが、松本圭二が詩書の装丁をめぐっていっていた言葉を思いだす。気力がなくてひっぱってこれないが、装丁を内容と一致させるのではなくて緊張関係をつくるみたいな話で、そしてそれが「つねに正しい」とは思わないけれども、今回はそんな風なものにしあがる予感がある。ほんとかな? ユースにとどけたいという熱意をどうのせられるかがポイントのような気がする。これはほんと!