耳、耳的ミソロジー

何かが空を飛んでいく音がよくきこえる。その何かのすがたを見たことはない。昼夜問わず、飛行機か、ヘリコプターか、そうしたでかい機械の飛ぶ音が頭上からよくきこえる。などと書いていたらちょうど窓の枠内を、雲を背景に、一機のヘリが下辺の方位から上辺へと移動していくのが見えた。

目を落とすと、テーブルの上を這うちいさく素早い赤い虫がいた。なんだろうと「素早い 小さい 赤い 虫」などとググりながら、すぐに見失ってしまいそうだったので、不完全な8の字軌道で歩きまわっているものの正体があきらかになる前にティッシュでつぶしてしまった。おそらくタカラダニだと思うのだが、わたしの記憶のなかのタカラダニはもっときょうれつに赤かった。アカムシと呼んでいたそれは、コンクリートのうえを群れになって這いまわっていた。

なぜ殺すまえにググったかといえば、虫は殺しても蜘蛛は殺さない主義だからだ。いまもトイレにちいさなハエトリグモを放し飼いにしている。できればアシダカ軍曹も招きたいところなのだが、この家に越してきてからはいちども見ていないような気がする。ティッシュの上で、生の瀬戸際にいるものの脚の本数は8本である。

今日はaustraとmakenessをかけながらしごと。すすみがわるく、読書に移れない。食材が切れてきたので夕方にはスーパーに行かねばなるまい。さいきんよくスマホを洗う。水で表面を流して、布やティッシュで拭く。日になんどもやってしまう。


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本屋ふっかつを祝して買った本たち


夕食は大葉豚しゃぶとうどん、きゅうりとプチトマト。ビールをひと缶とブラディメアリを2杯。かけるのはバックホーンとゴーイング。ポエトタイプドットエムとロングブロンズとスピッツもかけた。シャッフル再生に流れがちだけれども、CDやレコードで音楽をかけるとちゃんと固有性がたもたれる。栄純がYouTubeにあげてる曲解説がとてもよい。何処へ行くがボブ・マーリーのノーウーマンノークライの影響下にあったなんてめちゃくちゃいい話。それをしって聴き比べてみるとほんとだねってなるし。そしてたまたまその動画を見たのがボブ・マーリーの命日だったのもできすぎてる。

ついったで流れてきたありま猛『連ちゃんパパ』を一気読みする。パチンコ依存で破滅する家族の話だが、想像を上回っていく展開の非道さにわらいが止まらない。キツイとか、耐えられないとか、SAN値が云々とかいわれてるけれども、ウシジマくんのように露悪ぶるようなことがないのだから、わたしは過剰性のギャグ漫画としてしか読めなかった。絵柄とのギャップを気が滅入ることの理由にしているという話を読んだ大学のときの先輩に聞いたのだけれど、いや、この絵柄だからこそおもしろいのではと思った。それこそねこぢるなど、、あれがリアルな人間のかたちで描写されたら相当きついのでは。どちらも同様に残酷ではあるけれど、残酷さとおもしろさは背反するものではない。大半のひとは、できあがった構文に自分の感情をゆがめて流しこんでいるだけなのではと思ってしまう。読むことは自分だけのことのはずなのに、すでに流通する言語でそこで起きていることをかんたんに置き換えてしまうのがかなしい。

翌日、フライパンを熱したまま、周囲にはねた油を拭いていたら手の甲を火傷した。かるく流水に晒したのち調理を続行し、できあがったスパゲティを食べていると、4センチほどのちいさなバカうけのような腫れがあらわれる。ちいさいというのは通常サイズのばかうけと比較してのことで、これまでしてきた火傷のなかではベスト3に入るほどのおおきさである。目を近づけると、肌の質感が変わっている。ゆびをうごかすたびにうごく部位で、やっかいな場所にできたなと顔をしかめる。時間が経つにつれて、患部は赤から白、白から褐色へと変貌していく。

夕飯は牛肉とピーマンと玉ねぎのオイスターソース炒め。パセリ入りスクランブルエッグもいっしょにつまみにして、よなよなエールひと缶とカルピスウォッカを2杯。tzusingとholy fuckをかけておどりくるう。ライヴに行きたくてしょうがない。