ソシアルマッチ

対峙するゲジゲジ。せんじつリビングの床を一直線に走り抜けてどこかへ消えてしまった個体と同じ個体かどうかはしらないが、トイレの電気を点けた途端、ちいさな黒い塊が、右奥の角めがけて逃走するのを見た。しばらく見つめあった(といっても彼/彼女はそっぽを向いていたようだが)あと、界面活性剤をかけて弱らせ、割り箸でつまんでトイレに流した。見た目が怖い、足が速いという理由だけで殺されてしまう、逃れられないルッキズムの呪縛。自己のもつ差別性に向きあうきっかけは、何気ない日常のなかに潜んでいる。

夕飯、玉ねぎ・ベーコン・厚揚げでホワイトソースをつくり、ダイス状に切った食パンにかけてグラタンにする。家にオーブンがあるのはとてもよい。砕いてない岩塩をかけたら味の濃淡がでて不評だった。あたりまえである。ビリヤニじゃないのだから、、でもそういうたのしみの料理と思えばたのしくなるのでは、といまこれを書きながら思いなおしている、こうして書くことで自分の思っていることが修正されていくのはおもしろい。

今夜は毎週恒例ラジオの日。どういう風にきこえているのかをたしかめる&どんな放送なのかを手軽にしってもらうために、アーカイヴをのこしてみる。音声のバランスはちょうどよさそう。内容もまあ、及第点はとってるのではと自分で思えたのでいいのではないでしょうか。もっとこうしたらというのがあったら、放送中にお気軽にコメントください。放送で予告したSinead O'brienについての記事はおそらく来週の放送前にはあっぷされることでしょう、それにしても自分でやってみて、放送が300回以上つづいている29地図の凄みを感じる!


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今日はひさびさにハロワ。妹の車に乗って。しょっぱい兄だね。隣のブースからきこえる「ガン無視」という職員の声に耳を傾けながら就職相談してハンコをもらい、小雨の降るなかちかくの本屋へ。道中、かつてよく通った商店街がけっこうなシャッター街になっている風景にさびしさを覚え、店内に入ってこれまたさびしい品揃えとさびしい客数にさらにさびしいきもちになりつつも、多少の意志の荷重を感じさせてくれる棚もあり、がんばっている書店員もいるのだろうかと想像する。GINZAやらBRUTUSを読み、後者に友人のイラストが2見開きにわたってつかわれているのにおどろいたあと、図書館へ足をのばす。地元の図書館の記憶は「小学生の頃にいちど課外学習で行ったことがあるかもしれない」程度しかなく、そもそもこんな建物だったか?という疑問であたまをいっぱいにさせての訪問だったが、贅沢なスペースづかいのエントランスにグッと高揚する。図書館に至る建物に切れ込みを入れたようなエスカレーターの配置がおもしろく、いちどの上昇運動中ににども後ろをふりかえったりする。起きてから何も食べていない腹の鳴らす長い長いグギュル音とともに、佐川恭一「少年激走録」を読む。『小説すばる』を手にとったのははじめてかもしれない。読みおえる頃に用事を済ませた妹から連絡が来て、家までまた乗っていく。しょっぱい兄だね。

夜、ひき肉と大根ととうもろこしの味噌炒め。あまりものを一緒くたにして焼いてまえ、とつくった。つくったならば疲れ果て、仮眠。2時間ぐらい眠り、がばと起きて小皿にちょことのこったそれと、キムチで今日はじめての食事。美味なり。シャワーを浴びてこれまたはじめてのzoomでの打ち合わせ。だまっているときには音声をミュートにするんか?とかimac画面でかすぎて同時にひらいている資料見てるときいったいこいつはどこを見てやがるんだって思われてないかな?とか思ったりしながら40分が過ぎた。体験としてこんな感じなのかというおもしろさがあった。酪王カフェオレを飲みながらしゃべった。