さいしょノそうしょデちずヲかく

いま思えばさいしょに住んだアパートは階下が大家さんの物置で、ウーファー床置きでも苦情がくることなく済んでいたが、いまのすみかはふつうにひとが住んでいるのでうるさくひびいているのかな、と思って居住4年目にしてスニーカーの空き箱を下に敷いた。なんという気遣いの遅さ。これで多少は軽減されるのではないでしょうか。いまのところ文句をいわれたり手紙を投函されたりはしていないが、いずれ刃を交えることになりそうで戦々恐々としている(そう、こころなしか音楽をかけるたびに隣室の会話の音量があがったり、階下のひとがうるさく音を立てるような気がするのだ)。わたしは音楽がないと気が狂ってしまうので、どうにか折り合いをつけたい。

布団を干し、カバーを洗う。風がでているので午前のあいだに乾いてしまう。めちゃくちゃ暑くなる日ときいていたのでおそれをなしていたが、部屋のなかにもちゃあんと風は通ってゆくので快適である。夏場、わたしの部屋は湿気と熱がこもって外よりも暑いので、ひきこもり生活がつらい季節になる。電気代上がりそうだな、、とかなんとかいってたら寒くなってきた。寒いぶんにはまったく問題ない。ラブ冬、ラブ雪。 


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わたしはポテトサラダが大好きで、居酒屋のメニューにその文字列を発見すればすかさず「ポテサラポテサラ」とまわりの同意を求めるし、「ボールにいっぱいのポテトサラダが食いてえ」と日々思っているのだが、その熱情とは裏腹に自分ではあまりつくらない。芋をレンチンして、そのとき冷蔵庫にある適当な野菜や肉やチーズなどをほおりこみ、マヨネーズをベースにこれまた適当なスパイスで味つけをするという手間としては楽な部類に入る料理のはずなのだが、なぜなのだろう。芋を洗って芽をとるのがだるいから? 包丁のめんどうくささは洗いものが増えるってことなんだ。わたしは料理が大好きだけれど、洗いものがきらい。でもさいきんはちゃんとすぐに洗っている。時間がもりもりあるから。ひさしぶりにつくった今回のポテサラは、新玉ねぎとプチトマトをインして、塩、鰹節、ブラックペパー、ピンクペパー、マスタードを投入しております、マスタードがすばらしく正解の風味!


自分の子供となにか作品について語りあうっていいなと、息子と海外ドラマについて話す母親のブログを読んで思った。自分の子供とのコミュニケーションってめちゃくちゃたのしそうでうらやましい。自分の親のことでさえうらやましく思う。だって自分が産んだのだ。意味がわからない。幸福だ。親はわたしと話していて幸福なのだろうか? わたしが親だったら幸福だと思う。子は親と話していてべつに幸福ではない。親の視線を自らのうちに折りこむことで幸福になる。

いまかつてなくひとのブログを読んでいる。京都に住むコロナでしごとをクビになったすこし年上の女性、去年その作品をはじめて読んだ大阪弁の作家、いちどだけ会ったことのある里帰りした歌人、イタリアに住む柔和そうな婦人。列挙してみると女のひとばかりで、男のひとはこういうとき日記を書かないのだろうか。いや、こういうときにかぎらずだけれど、日記を書いている男性がほとんどまわりにいない。というか、みしったひとのひそかなる文章もいいのだが、できれば自分とは遠く離れたひとのものが読みたい。まだはてなブログではなくはてなダイアリーをつかっていた頃、新着一覧をあさってまったくしらないひとのだれにも読まれていないけれどどこか惹かれるブログを見つけて読むのが好きだった。はてなブログにも一時期新着があったはずだが、すぐになくなってしまって、ずっとかなしい思いをしている。似たようなものにグループにおける新着というのがあるけれども、そこでは執筆者によって能動的に登録されたブログしかあがってこないのでちがうなと思う(ただ先に挙げた京都のひとはグループから見つけた)。看板の立てられた畑に自ら望んで植わったものを収穫に行くのではなく、野に自生しているものを自分で見つけたいのだ。

日記はおもしろい。本ではソンタグ滝口悠生のを読んでいる/加筆:後者は先日読みおえた。ソンタグのものに関してはもう数ヶ月ひらいていないが……それはさておき、ダイアログで延期になっている日記のイベントもかならずどこかで開催したい。下北の月日にもはやく行ってみたい。