セレモニー、霊、霊たち

ゴールデンウィークに突入した。これを公開するころにはもうおわっていることがつらい。一生つづいていてはくれないだろうか。緊急事態宣言が継続するかぎり、わたしは会社に行かなくて済むのだろうか。わからない。そもそもこのままずうっとつづくのならば、多くのひとびとの生活が壊滅するだろう。わたしはいま会社に守られている。ただただひたすらに読み書きをつづけている。しかしあまりにも時間をもてあましているので真っ昼間から酒を飲んでいる。いまは5/2、12時12分。もう起きてから10時間くらい経つ。今朝、初夏の清潔な日差しのなかで、隣の部屋から競馬中継の音とおっちゃんたちの話し声がきこえてきて、とてもいいなあと思った。おっちゃんふたりでルームシェアしてるの、なかなかめずらしくない? そんなこともないのかな? ひびいてくる語調に恋人っぽさは感じないのでヘテロふたりだと思うのだけれど、なんだかいいじゃないと思うのです。まあ貧困がそうした生活形態を強いているのだといわれたらその通りであって、いいじゃないなんていっていられないのですが。世界に対してほんとうむかつくことばかりだよな。おれもがんばって勉強するからみんなもがんばって勉強してくれあるいは蜂起してくれ。

この勉強するということについて、3月末からしごとにまつわる時間がそれまでと比べてずいぶんと減ったことによって生まれた(というよりもとりもどした?)時間が、自身の興味に基づいた読み書きにあてられることになったことの効用は、こうしてブログの記事にも反映されている。労働は人間の思考を奪っているのである、ときちんとした実感をもっていうことができる。この時間を制作にも注ぎこみたいが、PCがないってのは思っていたよりもわたしの意欲を削ぐ。ひきこもり生活で浮いたお金でimacを? しかし更新料がこわくてお金を使えない。こんなして脅かされている生活が健全といえようか?

畑をもちたい欲が増している。コロナ禍で畑アパート的なうごきがでてきてくれないかな。農園ハウス。つちつき物件。野菜の生える家。作物賃貸。


f:id:seimeikatsudou:20200503045442j:plain


早朝散歩にでた。4時過ぎ頃に家をで、歩いているうちにだんだん明るくなってくるのをたのしんだ。近所の家々を見ていると、どれも手のこんだ外観をしており、金持ちばかりだなあとためいきがでる。川沿いの道にでると、スポーツウェアに身をつつんだランナーたちがけっこうおり、老人から中高生まで、息を切らして薄い朝靄のなかを一直線に突き抜けていった。羽虫や蜘蛛の巣が顔にかかる。緑の多い公園には、ベンチに座りタバコをふかすサラリーマン(あのひとなんでスーツだったんだ?)や、太極拳をするおばちゃん、二重飛びをする若い男など、いろいろなひとが好き勝手にたたずんでいた。わたしは草花や壁、建物なんかの写真をぱちぱちと撮った。帰路、太陽がでている方角が往路とは逆になっていることで家とは反対方向に歩いていることがわかり、おおまわりしてUターンする。しばらく歩くとみしった商店街にで、安心する。対向からパトカーがやってきて、職質ってのはこういう場面でなされるのかなあと思いながらなにごともなくすれちがう。道の左右を占めている閉じられたシャッターにはことごとく張り紙がしてあり、コロナの影響で休業している店が多いことをあらためて実感する。自転車に乗ったおじさんが、散歩している犬にあいさつをするために立ち止まり、飼い主のおばちゃんが苦笑いをしている。店はまだコンビニぐらいしかあいていないのに、ぽつぽつとひとが歩いている。あたりはもう朝だ。出発から1時間半ほど経って、自宅にもどってくる。家をでる前に炊飯をしておけばよかったと思いながら、バゲットをちぎって焼き、つくりおきのハヤシソースをレンジであたため、朝食を摂る。