夜霧のつらなり、人家のあかり

ひたすら書いてる。これを。詩でも小説でもなくてこのテキストを。いまは4/21の2:26。あっぷしていないテキストがこれを含めて7本、執筆途中のも含めれば8本ある。だれにも読まれていないというのに、いったい何に駆られて書いてるのだろうか。このブログはもう4年以上つづけているのに対して、総アクセス数は5000未満である。そのうち自分のアクセスが25%ぐらい入ってるとすれば、日の平均アクセス数は3を割っている。おそらくページの変遷でカウントされているので、人数に換算してみればさらに少ない。そんなんでよくやっているなと思うが、読まれるために書いているわけではないのでつづくのだよな。フランスの戦傷詩人ジョー・ブスケは「書くという技法は他者のために思考する技法である」といっていて、それはまったくもってその通りなのだが、「書くという行為」は自分を救ってくれるのだよな。そしてそれを他者として読みかえすとき、わたしの思考の助けになってくれるのだよな。ありがとう、過去のおれ。

ひきこもり生活になってからしばらく3食生活をしていましたが、時間が経つにつれて自然と2食にもどっていきました。わたしの食事史を回数という点でふりかえってみると、おそらく中学時代ぐらいから朝食を抜くようになり(朝はとにかく食欲がなかったので)、それがしばらくつづいて大学時代に入ってから朝食を食べるようにはなったもののやがて昼食を抜くようになり(金がないので)、会社に入ってからからはまた朝食を抜くように(朝いっぱい寝たいので)、と基本的に2食ばかりです。そうすると、1日3食が安定して継続していたのは小学時代ぐらいなのだなあ、となぜだか感慨深くなるわたしがいます。浪人時代は昼夜がなんども逆転しまくっていたので、回数とか気にせずにだらだらと食べていたような気がしないでもないですが、すっかり忘れてしまいました。なので、食べない時間が長くてもけっこう大丈夫なタイプなのですね。これが、ひととでかけたりするときに厄介で、空腹というのはひとの機嫌を著しくわるくさせる代物ですが、わたしはなんとかなってしまうので、そこにズレが生じてしまうのですね。なんだか喫茶店に通う習慣がないのも、ここに起因しているんじゃないのかと思えてきますね。いや、単に貧乏だからというのも大きいのですが。


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手羽とろと青ねぎの豆鼓醤炒めプチトマト入り。さいきょうにビールに合う


スーパーに買い物に行くと95%のひとはマスクをつけていて、いったいどこでげっとしているのだ?となる。トイレットペーパーはまだ置いてないところが大半だが、ティッシュペーパーはだんだん店頭にもどってきた気がする。3月末ごろにさわがれていた食料品の買いだめの影響もとくに問題なく、好きな銘柄の豆腐がなくなってしまっただのそんなのはあるが暮らしは変わらずつづいている。この機に取れたボタンをなおそうとちいさな刺繍セットを買う。何着も取れたままにしてあるのだ。ズボラ。ドラクエのじゅもんみたい。