ぱちくりモードの伝統芸

ちかくのアパートのベランダには洗濯機があり、そいつは脱水するときにすさまじい音を立てて回転する。半分ぶっこわれているのか、あまりにもはげしくなった場合はバキバキと破砕音をとどろかせて途中で停止する。うちの洗濯機も古くてうるさいが、ここまでではない。

階下の住人が大量のゴミ袋を外にほおりだしていて不安だ。引越しかと思ったがそのようでもなく? いつまで放置しているつもりだ? 虫が湧かなければべつによいが。/加筆:さいきんは減ってきたようである。やっぱり引っ越しだろうか。

ひきこもり生活になって変わったことのひとつに、ふたたび漫画を読むようになったことが挙げられる。わたしの漫画最盛期は高校生から大学時代にかけてで、とくに東京にでてきてからは、シブツタや町田のあおい書店などでばかほど買いこんだものだった。そんなことを書いていたら、いままですっかり記憶の底に忘れ去られていたcoccoに似た店員の顔がふと浮かんできた。いまでもはたらいていたりするのだろうか。まだ漫画売り場が地下でなく最上階にあった時代の話である。

このブログではじめて「漫画」という単語がでてくるのは2016年(つまりは書きはじめた年)なのだけれど、その登場の時点でもう「漫画買わなくなってしまったな」などと書いてあって、ちょっとわらってしまった。見かえしてみると、今年になってから漫画への言及がぐっと増えている。また買い集めるようになるのかもしれない。前回のアクセス数云々みたいなこういう自らの「ブログ」に対する言及はやかましいなと思うタイプなのだけれど、こうして書いてしまうのはコロナ禍でふりかえりの力学みたいなものがはたらいているからなんだな。ついったみててもその風潮が感じられる。ブログや自分史を書きはじめたひと、自分の好きなものを書いているひと(これはリレーやバトンという形態でもってなされることも多い、疫病下のポジティブ(?)な伝染病!)が増えている。みんなひまなんだよ(これはブルジョワの放言)。


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ラーメンが食べたい、しかし生麺はなく、インスタント麺も切らしている、だがラーメンが食べたい、買いに行くのはめんどうだ、食べに行くのもめんどうだ、だがしかし、ラーメンが食べたい、という欲望をみたすスパゲッティラーメンです。たいていの麺類は茹でるときに重曹を加えるだけで中華麺になるのだ。みんな、しってたかな? なお麺をあと載せした所為で具が見えませんがネギだけラーメンではありません、細かく刻んだザーサイと豚肉が入っています、沈んでいます、スープはウェイパー、醤油に自家製ラードと生姜のみじん切りでfin.


昨晩は石黒正数『響子と父さん』『ネムルバカ』を読みかえし、今日は今日マチ子の積み本(『みつあみの神様』『5つ数えれば君の夢』『ぱらいそ』)をくずした。どっちもてんさーい! 前者の物語の構築力、後者の情感の描写力。漫画っておもしろーい! 好きな作家の買ってない漫画は集めなくちゃなというきもち。大雑把に2015年以降と考えたとして、その時間の長さ的にも、発行部数的にも、紙では買えなくなってしまっているものも多いのだろうな、と思うとかなしくなってしまいますね。服もレコードも本も、見つけたときに買わないとだめなんだという先人たちの教えがこころにひびきます。ミニマリストとか断捨離とかいってるひとたちは、単にものに対する愛が薄いだけなんじゃないのか。本当に必要かどうか? それこそものにとらわれているじゃないか。おれたちは好きだから買うのであって、「必要かどうか」を判断基準にしたことなんて、これまでたったのいちどもない。