の方が好ましいというときの切り捨てられた方に花を渡す

f:id:seimeikatsudou:20200221192209j:plain

2010s映画ベスト50+(20→11)
順位は観た当時の評価をもとに作成。観た映画の本数は毎年50-100本程度増えており、年々目も肥えてきているはずなので、現在観かえしたらずいぶんさまがわりするのではと思うが、そこまでやっているときりがないのであえて手を入れずそのまま並べた。1記事につき10本+触れておきたい選外作品を1本選出し、作品紹介というよりは個人の思い入れをメモとして付す。
50→41はこちら
40→31はこちら
30→21はこちら
10→1はこちら


20

ジャン=バティスト・レオネッティ『カレ・ブラン』(2011)
2013年にシアター・イメージフォーラムで鑑賞。人類が家畜と社畜に分断され、まさに食うか食われるかの弱肉強食極まれりな近未来社会の暴力のありさまを、無機的かつ制御された演出によって冷徹に剔抉した傑作SFディストピア。不穏と愛が絶妙のバランスで合体すると、わたしの大好きが生まれることを示す証左の1本。次作『追撃者』(2013)を観逃してしまっているのが悔やまれる。 


19

ヨルゴス・ランティモス『聖なる鹿殺し』(2017)
2018年にシネマカリテで鑑賞。あまりにもドストライクな不穏さみなぎる家族崩壊スリラームービー。トリアー、ハネケらへの目配せも感じつつ、己の過去作からさらに脱皮していくような野心にみちた攻めの快作だったのに、なぜ『女王陛下のお気に入り』(2018)みたいな方向へ行ってしまうのか。本作で怪演を見せる顔力あふれる俳優バリー・コーガンは、自分のなかではデヴィン・ドルイドヨアキム・トリアー『母の残像』2015、トッド・ソロンズトッド・ソロンズの子犬物語/ウィンナー・ドッグ』2016)と並んで同系統フェイスの気になる若手。


18

ミヒャエル・ハネケ『ハッピーエンド』(2017)
2018年に新宿武蔵野館で鑑賞。前作『愛、アムール』(2012)がそれほどハマらなかったのでどんなものやらと観に行ったのだけれど、その延長線上にありながらも、ハネケ史上サイコーのタイトルに違わず、あるブルジョワ一家の崩壊から現代を照射する優れた作品に仕上がっていた。なかでも印象深いのは、排泄という私的な行為がパブリックへと融解していくシチュエーションを、時間的空間的な家族の亀裂として飽くまでも仄めかしのレベルで用いていること。スマホ撮影の天才じみたアバンからはじまって、ほぼすべてのカットが不穏さをまとっていることに、ハネケの徹底ぶりが感じられる。クリスティアン・ペッツォルト『未来を乗り換えた男』(2018)を観て以来、影をたたえた顔立ちと吃音的な口ぶりが愛おしい魅力を放っているフランツ・ロゴフスキが推し俳優のひとりなのだが、本作でもイザベル・ユペール演じるアンヌの息子役を飄々とこなしていた。岡田利規の『NO SEX』(2018)にもでているとしっておどろいたおぼえもある。パンフレットの表紙にも使用されていたスマホの撮影画面を模したティーザーヴィジュアルも忘れがたい。なお、マイベストハネケは『コード・アンノウン』(2000)と『白いリボン』(2009)です。


17

濱口竜介『親密さ』(2012)
2018年にシアター・イメージフォーラムで鑑賞。10年代屈指、いや映画史に残るといっても過言ではない、夜明け前の大きな橋の上を、男女がぼそぼそと会話をしながら歩いてゆく長回しと、並走していく電車をとらえた、一生忘れることのできないずるすぎるラストシーンだけで、本作はまごうことなき傑作であることをそのうちから運命づけられている。濱口竜介には長大な映画を撮りつづけてほしいと思う。


16

ヨアキム・トリアーテルマ』(2017)
2018年に恵比寿ガーデンシネマで鑑賞。本リストのなかでも格別にラブな作品として米林宏昌思い出のマーニー』(2014)を挙げたが、テイストはちがえども本作はそれに並ぶ愛らしさをもち、また同時にジュリア・デュクルノー『RAW 少女のめざめ』(2017)を反対側に置いて3本をサンドイッチして棚に並べたい、愛と自立のガールズアウェイクニングサスペンスだ。ヨアキム・トリアーとは恋と文学による破滅/再生を映画的野心にみちた演出と編集で描いたすばらしい長編デビュー作『リプライズ』(2007)で出会ってからというもの目の離せぬ監督となっていて、自死願望を抱えたヤク中が閉塞感のなかで燃えつきようとするある1日を描いた『オスロ、8月31日』(2011)も、母の死に直面した家族のすがたを文学からの沸騰/要請による撮影と演出によって映しとった『母の残像』(2015)も、欠くことなく劇場で鑑賞している。次回作『ザ・ワースト・パーソン・イン・ザ・ワールド』(2020or2021)は、30代という岐路を迎えた女性を主人公に据えた、『リプライズ』『オスロ~』につづくオスロ・トリロジーの掉尾を飾る作品となるようで、続報の発表が待たれる。


15

今泉力哉『サッドティー』(2013)
2014年にK's cinemaで鑑賞。恋愛ものと思いきや、わらいが前面にでたかけあいのおもしろさが突出した会話劇。トリプルファイヤーの楽曲のちからもあって、珍妙な空気をグルーヴィに発しながらラストになだれこんでいくさまが爽快。今泉力哉はひじょうに多作ながらも、これと『退屈な日々にさようならを』(2016)しか観たことがなく、今年は何か足を運んでみようかと思っている。


14

樋口真嗣シン・ゴジラ』(2016)
2016年にTOHOシネマズ新宿で鑑賞。ど真ん中のエンタメ大作はほとんど観にいかないのだけれど、いったらいったでめちゃくちゃおもしろかったのが本作。『シン・ウルトラマン』(2021)もおそらく観にゆくだろう。


13

三宅唱『ワイルドツアー』(2019)
2019年にユーロスペースで鑑賞。街や公園や道を歩いていて、ふとカメラを向けたくなる対象にであったとき、あなたはアクションを起こしますか? もし、写真を撮ったり、あるいは映像を撮ったりすると答えたあなたには必ず刺さるであろう、少年少女たちの淡い淡い冒険譚。観ている最中「そうそうそうなんだよな」というきもちが炸裂し、なおかつその風景への憧憬が登場人物の心情やシーンともわかちがたくむすびついていることが心地よく、シーンがかさねられるたびに愛おしいきもちがふくれあがっていく。スクリーンに映る恋のもどかしさに胸がくるしくなるような時間がユーモアの踏み板を割るとき、わたしたちの瞳からはうれしなみだがつうとこぼれるだろう。


12

リン・ラムジー少年は残酷な弓を射る』(2011)
2013年に自宅でDVDで鑑賞。10年代に公開されたリン・ラムジーの作品にはすべて邦題がついていて、本作は『We Need to Talk About Kevin』が原題であるし、『ビューティフル・デイ』(2017)は『You Were Never Really Here』が元のタイトルだった。ともにジョニー・グリーンウッドの手がける音楽と、美しくも効果的な色彩設計に彩られた特筆すべき作品であることはまちがいないが、わたしはより狂気にみちたこちらを推したい。幾度もくりかえされる赤と、過去と現在を交互に見せていく構成がひじょうによい成果を挙げており、ティルダ・スウィントン演じる母の愛に背く、憎たらしくも美しい少年エズラ・ミラーのするどいまなざしに射抜かれる。


11

森達也『FAKE』(2016)
2016年にアルテリオ映像館で鑑賞。10年代制作のドキュメンタリーのなかで非凡なる構成力を発揮した作品に、ピノチェト・クーデターの記憶を大胆かつ繊細な手つきで紡いだパトリシオ・グスマン『光のノスタルジア』(2010)『真珠のボタン』(2015)があるが、佐村河内守を題材にとった本作もそれに比肩する優れたつくりになっており、その描きかたによってすっかり感動させられてしまっている自分が、また同時に「わたしはいまメディアに翻弄されている」という事実を否応なしに突きつけられる稀有な傑作である。ドキュメンタリストとジャーナリストはちがう生きものであることがまざまざとわかる、愛の物語。


選外

ショーン・ダーキン『マーサ、あるいはメイ・マーリーン』(2011)
2013年にシネマート新宿で鑑賞。山崎まどか町山広美トーク付。フルハウスのミシェル役でおなじみのオルセン姉妹の妹であるエリザベス・オルセンに興味を惹かれたのと、原題である『マーサ・マーシー・メイ・マーリーン』のすばらしさにやられて観にいった。ミシェル・フランコ父の秘密』(2012)や、ヨルゴス・ランティモス『ロブスター』(2015)のような緊張感のピークでもって終幕を迎えるタイプの映画で、そういうおわりかたが好物のわたしにとって印象深い一作。先日サンダンスで上映された新作『ザ・ネスト』(2020)も撮影監督がエルデーイ・マーチャーシュということで期待大。