2010s映画ベスト50+(30→21)
順位は観た当時の評価をもとに作成。観た映画の本数は毎年50-100本程度増えており、年々目も肥えてきているはずなので、現在観かえしたらずいぶんさまがわりするのではと思うが、そこまでやっているときりがないのであえて手を入れずそのまま並べた。1記事につき10本+触れておきたい選外作品を1本選出し、作品紹介というよりは個人の思い入れをメモとして付す。
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30
赤堀雅秋『その夜の侍』(2012)
2017年に自宅でDVDで鑑賞。本リストでは3本しかないDVD鑑賞の映画。妻を轢き殺され復讐に燃える地味な男が、人格のゆがんだ粗暴の権化のような犯人と対面するまでを、その人間性を対比させながら生々しく描いたヒューマンドラマ。次作『葛城事件』(2016、未見)でも悪意と狂気が渦巻く重苦しい作風が継続しており、ぜひ舞台作品も観てみたいと思っているのだが、自身が主宰する劇団THE SHAMPOO HATは活動休止中で、近年は有名俳優を用いたチケ代の高い公演ばかり打っているので、いったいいつになることやらという感じ。
29
ラース・フォン・トリアー『ニンフォマニアック』(2013)
2015年にシネマート六本木で鑑賞。色情狂と釣りという不可思議なハーモニーは、次第に数学、音楽、宗教といった要素が加わって、ネジの外れたポリフォニックな展開を見せていく。最新作『ハウス・ジャック・ビルト』(2018)が集大成的作品として扱われているが、本作においてもその前兆は大いにあらわれており、カウンセリングを媒介にした表現手法(『エレメント・オブ・クライム』1984)、章立て構成(『奇跡の海』1996、『アンチ・クライスト』2009)、炎を背に歩く女(『ドッグヴィル』2003)、駐車シーン(『メランコリア』2011)とセルフオマージュ盛りだくさんの大作にしあがっている。ちなみに、マイベストラース・フォン・トリアーは『ドッグヴィル』。
28
濱口竜介『ハッピーアワー』(2015)
2016年にシアター・イメージフォーラムで鑑賞。濱口竜介は本作から。すばらしいショットの数々が彩る、40を前にした4人の女が直面する人生の危機。最新作『寝ても覚めても』(2018)でも発揮されていた抑制された芝居と狂気的なフレームワークがかたちづくる居心地の悪さと多幸感の交錯に興奮しっぱなしの5時間17分。時折挟まれる異様に引き延ばされたカット/シーンがもたらす不思議な時間のあり方には切実な違和を感じ、棘のようにして心中にひっかかりを残してゆく。
27
アスガー・ファルハディ『セールスマン』(2016)
2017年にル・シネマで鑑賞。ファルハディはずっと引き裂かれる夫婦/家族の話を撮っていて、本作もその例に漏れず、戯曲「セールスマンの死」を上演する夫婦に訪れる災厄を、恐ろしいほどに緻密に構築した脚本によってサスペンスフルに描きだしている。現代映画界において指折りの作家であることはまちがいなく、最新作である『誰もがそれを知っている』(2018)ではじめて失速したかのように思えたが、次作『A Hero』(2021)はイランに戻っての撮影のようで期待が炸裂している。
26
坂本あゆみ『FORMA』(2013)
2014年にユーロスペースで鑑賞。日本におけるハネケ影響下の作家たちのなかで筆頭に挙げたい坂本あゆみによる長編デビュー作。「静寂のなかで育ちゆく狂気。冥暗へと転がり落ちる悪意を追うように、編集が鋭利な刃物となって素材を刻み、作品を鮮やかに紅潮させる。画面に映り込むノイズはまさにハネケ。画にはまだのびしろがあるように思うのだが、まずは日本発の、新たな胸糞映画の作り手の誕生を拍手で迎えたい」とかつてのわたしは書いており、興奮ぶりがうかがえる。長編新作の話が聞こえてこないのがざんねんだが、家入レオの楽曲をもとにしたショートムービー なども撮っていたり、京都の出町座では毎年末に本作を公開していたりするようで、着々と新たなファンや太いファンを増やしているのではないだろうか。ハネケとはまた違うのだが、10年代邦画シーンのなかで出会った、ハードで殺伐とした隠れた良品として伊之沙紀『反駁』(2014)もこの機会に挙げておきたい。
25
グザヴィエ・ドラン『わたしはロランス』(2012)
2013年にシネマカリテで鑑賞。ひとつのカップルの10年に渡る愛の顛末を、ミュージックヴィデオ的感性とメロドラマチックな作劇によって、ヴィヴィッドかつスタイリッシュに168分に凝縮して描いた本作。原題である『Laurence Anyways』が下層に敷かれた上で響く「わたしはロランス」というタイトルのつよさ/ものがなしさが全編にわたって反響し、重苦しくにぶい音を立てて観る者の胸を打つ。ドランが日本で本格的に紹介されたはじめての作品であり、以後、わたしは過去作を含めてすべての長編を追っているのだが、本作を凌駕するものはまだない。『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』(2018)あるいは『マティアス&マクシム』(2019)ではどうなるだろうか。なお、映画的ワンダーという点でいえば、『マミー』(2014)のスケボーシーンがぶっちぎりで頂点をきわめており、10年代映画ベストシーンのひとつといえるだろう。
24
グレッグ・モットーラ『宇宙人ポール』(2011)
2012年にアルテリオ映像館で鑑賞。このリストをここまで見てもらえばわかる通り、コメディ映画はあまり観にいかない質なのだが、本作は数少ない例外のひとつであり、おもしろかったーと思わず快哉を叫んでしまう、笑いと涙にみたされた秀作である。当時宇宙人割という謎の割引制度があって、宇宙人1名+地球人2名の3名で行くと料金が安くなるというので友人ふたりを引き連れ威勢よく受付で「宇宙人です!」とのたまったのだが、その日はメンズデーで、そんな茶番をしなくても料金は変わらないのだった……。
23
テイト・テイラー『ヘルプ 心がつなぐストーリー』(2011)
2012年にヒューマントラストシネマ渋谷で鑑賞。紹介文に「主演は、『ゾンビランド』のエマ・ストーン」などと書かれていて時代を感じる。同じく黒人差別を扱ったラース・フォン・トリアー『マンダレイ』(2005)で主演を務めたブライス・ダラス・ハワードが本作でも抜擢されていることにキャスティングディレクターの面目躍如を見る。
22
デレク・シアンフランス『ブルーバレンタイン』(2010)
2011年に新文芸坐で鑑賞。10年代映画シーンを彩った俳優の一人にライアン・ゴズリングがいる。わたしは本作とニコラス・ウィンディング・レフンの『ドライヴ』(2011)『オンリー・ゴッド』(2013)ぐらいしか観ていないが、やはりはじめて観た作品の印象はつよく、毛抜きで髪を抜いてまで落ちぶれ感を演出していた役づくりの徹底ぶりには恐れ入るばかり。こうやって作品を並べていて気づいたのだが、離別ものが琴線に触れる率の高さにあらためて自分の性癖をしる。
21
クリスタル・モーゼル『スケート・キッチン』(2018)
2019年にシネクイントで鑑賞。ケリー・フレモン・クレイグ『スウィート17モンスター』(2016)、山中瑶子『あみこ』(2017)、セバスチャン・ピロット『さよなら、退屈なレオニー』(2018)などなど毎年多くのすばらしいガールズムービーが公開されているが、本作はそのなかでも珠玉の一作。現代のリアルなNYのストリートスケートシーンを舞台に、引っ込み思案な主人公カミーユがスケートを通して仲間たちと対話し、連帯し、闘争していくとにかくサイコーのティーンエイジ映画。主演のレイチェル・ヴィンバーグをはじめ、じっさいのスケーターたちも数多く出演しており、インスタグラムを介してスケーター同士が出会っていく感じも「いま感」があざやかにきりとられていて思わずいいね!したくなる。そして何より黒沢清『アカルイミライ』(2003)を思わせるラスト!わたしの嗜好としてこの『アカルイミライ』的シーンに対する憧憬はかなりおおきく、レオノール・セライユ『若い女』(2017)や先に挙げた五十嵐耕平『息を殺して』(2014)にもその風を感じて興奮したものである。
選外
カンタン・デュピュー『ラバー』(2010)
2012年にヒューマントラストシネマ渋谷(未体験ゾーンの映画たち)で鑑賞。とんでもない駄作としてわたしの脳内に記憶されているのだが、そのくせ、というかゆえに?どうも印象深い映画で、なおかつ監督のカンタン(クエンティンとも表記される)・デュピューがわりとシネフィル界でも名を馳せていて、近作もアタマのおかしそうな設定の映画ばかり撮っているようなのであらためて気になる存在として挙げた。これは意思を持った殺人タイヤが暴れまわる話で、と書けば人を轢き殺しまくるスロータームービーなのかと思うだろうが、なぜかタイヤが念力で人を爆殺するというひねりにひねった殺人方法となっており、なおかつメタフィクションの様相も呈していて……となんだかおもしろそうなのだが観てみるとぜんぜんおもしろくない。日本でも公開された『ディアスキン 鹿革の殺人鬼』(2019)は観逃してしまったため、次なる作品で判断してみたい。