もつれる身体、精神のタトゥー

ブライアン・デ・パルマ『キャリー』(1976)。はじめてのデ・パルマ。爽快! わたしはラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』(2003)がむちゃくちゃ大好きなので、本作のカタストロフ的快楽にも当然胸をブチ抜かれる。ずいぶん前から観たいと思っていた映画で、ヨアキムの方のトリアーのほんとうにすばらしいアウェイクニング・サスペンス『テルマ』(2017)の参照項のひとつという一点で、いよいよ観なくてはと奮ったきもちがいまようやく解消されたのだった。

性の目覚めと、感受性の炸裂と、超能力の覚醒がバチバチにショートする本作のフォーマットは、先に挙げた記事でも触れているがサイコーに好きな物語の類型で、もうそれだけで満足感があった。その基軸に、単純な悪意だけではなく善意の暴力性が絡みあい、サゲ→アゲ→サゲ(アゲ)の乱気流のなかをストーリーは走り抜け、結句、エクスプロージョンする。画面分割で迎える覚醒シーンは、わらいがでる壮絶さ。映画館で観たかった。

神の視点(上空からの俯瞰ショット)から映画が始まるのも示唆的で、主人公キャリーにズームアップしていくさまは、神に「見初められた」ことを語っているようである。シャワーシーンの接写というオープニングシーンもキモくていい。ほか、トミーとキャリーが最初に同一フレーム内におさまるときのフレーミングもおもしろかった。画面の半分をトミーが占め、右奥にちいさくキャリーが座っている。そこでふたりをつなぐポエムを、善意の仲介者スーが書いているという点も効いている。

先生に対して熱視線を浴びせているちょろちょろ画面にあらわれる禿げ上がった太っちょのおじさん、どこかで見たことあるんだよなと思ったらマイベストフィルムのひとつでもある『カッコーの巣の上で』にでていたひとだった(シドニー・ラシック)。


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トロプリ14話「おまかせ! 保育園でトロピカ先生!」。プリキュアがんばれ回! 劇場版のノリだ!とテンションが上がる。保育体験という舞台の上で、4人のキャラクターのちがいが如実にあらわされていて、なおかつそこで肯定の力学がうごいているというのがとてもよい。いわゆる、「みんなちがって、みんないい」の教え。次回はみのりん先輩とローラが入れ替わる『おれがあいつであいつがおれで』的展開がくりひろげられるようで、ひじょうにたのしみ。