ライク・ア・イクラ

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2010s映画ベスト50+(40→31)
順位は観た当時の評価をもとに作成。観た映画の本数は毎年50-100本程度増えており、年々目も肥えてきているはずなので、現在観かえしたらずいぶんさまがわりするのではと思うが、そこまでやっているときりがないのであえて手を入れずそのまま並べた。1記事につき10本+触れておきたい選外作品を1本選出し、作品紹介というよりは個人の思い入れをメモとして付す。
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40

デスティン・ダニエル・クレットン『ショート・ターム』(2013)
2014年にシネマカリテ(カリコレ)で鑑賞。少年少女のための短期保護施設を舞台に、さまざまな傷を抱えた人物たちの交流と葛藤を描いた、痛みと再生の物語。すべてを背負おうとしてしまう人たちの強さと脆さは紙一重だ。未公開作が集結するヒュートラ渋谷の「未体験ゾーンの映画たち」やユーロスペースでの「北欧映画の一週間・トーキョーノーザンライツフェスティバル(tnlf)」などと並んで、「カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション(カリコレ)」は都内在住の映画好きにとってとてもよい企画。同じくカリコレで前作『ヒップスター』(2012)を観たきり追ってなかったのだけれど、この監督は日本でもよく配給がついており、今月末にも新作『黒い司法 0%からの奇跡/原題:ジャスト・マーシー』が公開されるよう。


39

イ・チャンドン『バーニング』(2018)
2019年にシネマート新宿で鑑賞。2020年2月現在、ポン・ジュノ『パラサイト』(2019)が大盛り上がりしているが、同じ格差を描いた韓国映画でいえば、わたしはこちらに軍配を上げたい。スノビッシュで飄々とした原作が、大森立嗣『ぼっちゃん』(2013)的屈折と衝動をはらんだ階級闘争の映画にしあがっており、近年観た原作もののなかでも特筆してすばらしい翻案だった。もちろん原作未読でもまったく問題ない。


38

マイク・ミルズ『20センチュリーウーマン』(2016)
2017年に丸の内ピカデリーで鑑賞。何度でもいっていくが、グレタ・ガーウィグはやっぱりサイコーだ。70年代末のカリフォルニアはサンタバーバラを舞台に、パワフルかつモダンな母と、ふたりのエッジィなガールたちのあいだで育つセンシティブな男の子の、甘くて辛いとびきりのひと夏。HAIM「Want You Back」のMV的魅力をたたえた傑作である。観おえたあと、トーキングヘッズを聴こう!と思ってまだまともに聴いていない。


37

筑波大学創造的復興プロジェクト『いわきノート』(2014)
2015年に3331 Chiyoda Arts(3.11映画祭)で鑑賞。正直内容をあまりおぼえていない。が、この位置にあるということは当時わたしのこころをそれなりにゆさぶったはずで、少なくない数観た震災映画のなかでもよかった一本のようである。当時のメモをひっぱりだしてみると「まっすぐな映画。丸裸の大学生たちがいわきに住む/住んでいた人たちから話を聞きだすことで3.11と向き合おうとする。対話のなかで浮き彫りになる「壁」。この映画のふわっとしたあり方は表層的といえなくもないが、以降はぼくらが考えてゆけばよいのだ。綴られる人々の笑顔がまぶしい佳品」とある。おそらく「丸裸」であることがわたしの胸を打ったのだと思う。本編がYouTubeで公開されている ので、3月にかこつけて観かえしたい。なお、3.11映画祭は2017年で開催が止まってしまっており、かなしいかぎりである。


36

フィリップ・ル・ゲイ『屋根裏部屋のマリアたち』(2010)
2012年にル・シネマで鑑賞。1960年代パリを舞台にした、家主と屋根裏に住む使用人たちによる陽気なドタバタ系フレンチコメディ。なんでこれを観にいこうと思ったのかまったくもって思いだせないのだが、とても満足度が高い1本だったのはおぼえている。本作を象徴的なものとして挙げることもできようが、かつて新橋高架下にあった新橋文化劇場の対極にあるようなル・シネマの客層のハイソ感、ちょっと苦手(かといって、新橋文化劇場の無法ぶりがよかったのかと問われると言葉につまるのだが……)。


35

中川龍太郎『愛の小さな歴史』(2015)
2015年にユーロスペースで鑑賞。中川龍太郎作品にはエモーショナルな青臭さがあって、それが魅力の核だと思っているのだが、同時に辟易する部分もあって、ゆえに自分は本作の後からしばらく離れてしまったのかなとこれを書きながら思いかえしている。最新作である『静かな雨』(2020)も予告を見るかぎりまず人物設定からしてエモさがプンプンしていて、こういうのが苦手なんだなと自分の性向に気づかされた。ちなみに『わたしは光をにぎっている』(2019)でひさびさに中川作品を目にしたのだが、本作や『Plastic~』に流れていたような感情の奔流はわたしにまでとどいてこなかった。当時のメモには「見境のないナルシシズムから粗さ、いびつさがなくなったときの作品が観たい」などと書いているが、あまりにもきれいになりすぎてしまったのか。


34

ギヨーム・ブラック『女っ気なし』(2011)
2015年にユーロスペースで鑑賞。とにもかくにもヴァンサン・マケーニュの魅力!と声を大にしていいたい。同時公開の『遭難者』(2009)や次作『やさしい人』(2013)、セバスチャン・デデベール『メニルモンタン2つの秋と3つの冬』(2013)などでも活躍を見せているが、本作での抱きしめたくなるような愛らしさはずば抜けている。ウェス・アンダーソン『フレンチ・ディスパッチ』(2020)やローレン・ラフィットの初監督作となる『世界の起源』(2020)への出演も決まっており、20年代も注目の俳優である。


33

ジャン=マルク・ヴァレダラス・バイヤーズクラブ』(2013)
2014年にアルテリオ映像館で鑑賞。HIVに感染したカウボーイとヤク中のゲイが、未認可の治療薬を密売する会員制クラブをつくり、命をかけて奮闘するストレートなエンターテイメント作。笑いも悲哀も倍増させる巧みな編集が終始ひかる。あまりの凄まじい役づくりに打たれ、同時期に上映していたジェフ・ニコルズ『MUD』(2012)を観にいったほどにマシュー・マコノヒーがすばらしかった。


32

ミヒャエル・グラヴォガー/モニカ・ヴィリ『無題』(2017)
2017年にシアター・イメージフォーラム(IFF2017)で鑑賞。世界各地を旅しながら、その行く先々で遭遇した瞠目すべき光景をとらえたドキュメンタリー。「辺境」に向けるまなざしの鋭さは、極地における過酷な労働に従事する人々を題材にした驚くべき大大大傑作『ワーキング・マンズ・デス』(2005)にもあらわれていたが、本作でもその眼力は遺憾なく発揮され、これまで見たことのない世界のすがたが、みずみずしく切り取られていた。グラヴォガーの死後に本作を完成させたヴィリは、ジョナス・メカスと並んでわたしの最愛の映画監督であるミヒャエル・ハネケの諸作品の編集も務めている。「無題」ぎらいのわたしでも本作に関してはその意味づけが心底納得できるのでどうしても甘くなってしまう。


31

森はるか『息の跡』(2015)
2016年に新文芸坐で鑑賞。ドキュメンタリーを語るとき、被写体がすごいのか、映画がすごいのか、両方がすごいのか、わたしは立ちどまって考える癖をつけているが、本作の魅力はまずなんといっても被写体である佐藤さんのきょうれつなキャラクター性にある。そこにうまくフィットした監督の「豆粒」さが、寄り添うことのひとつのあり方を際立たせ、土地を直接的にとらえるのではなく、人をとらえることによって土地を立ち上がらせていた。それが息の跡。佐藤さんの、小森監督の、震災の、息の跡。佐藤さんは震災の体験を自分とは離れた言語である異国の言葉で執筆する。自分を救うために書く。生きるために書く。そして、それが伝えることになる。詩だと思った。それこそがまさに詩の動機であり、回路であると。


選外

チョ・ポムジン『アーチ&シパック世界ウンコ大戦争』(2006)
2012年にバウスシアターで鑑賞。00年代の映画だが、日本公開が2012年かつ埋もれている名作なのでこの機会に紹介したい。ウンコというくだらないテーマを、『エイリアン』(1979)や『戦艦ポチョムキン』(1925)など数々の古典映画にオマージュを捧げた演出と、過激でポップでキュートなキャラクター、作オタ垂涎のバキバキの作画でもって描いたアクション・エンタメ・アニメーション。初期クレしん映画や湯浅政明ファンには全力でオススメしたい一品。