愛と未来の話だけしていたい

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2010s映画ベスト50+(10→1)
順位は観た当時の評価をもとに作成。観た映画の本数は毎年50-100本程度増えており、年々目も肥えてきているはずなので、現在観かえしたらずいぶんさまがわりするのではと思うが、そこまでやっているときりがないのであえて手を入れずそのまま並べた。1記事につき10本+触れておきたい選外作品を1本選出し、作品紹介というよりは個人の思い入れをメモとして付す。
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選外

ミシェル・フランコ母という名の女』(2018)
2013年にシネマート新宿で鑑賞。胸糞映画ラバーとしてこの監督に触れないわけにはいかないだろう。日本においては『父の秘密』(2012)にて鮮烈なるデビューを果たしたミシェル(マイケルとも表記される)・フランコの長編第4作となる本作は、己の欲望をむきだしにして娘を地獄の底に叩き落とす苛烈で嫉妬深い母の物語。急展開から加速してそのままエンドロールへと突入するラストも忘れがたい。同系統の映画の作り手として2020年代に新作を撮ってほしい監督は、『ミヒャエル』(2011)のマルクス・シュラインツァー、『プレイグラウンド』(2016)のバルトシュ・M・コヴァルスキ(調べたら『今日は誰も森で眠りにつくことはない』というティーンエイジホラームービーを製作中のよう)、『FORMA』(2014)の坂本あゆみ、『ペトラは静かに対峙する』(2018)のハイメ・ロサレスなど。それぞれ予告編しか観たことがないが、『十字架の道行き』(2014)のディートリッヒ・ブリュッグマン、『ミス・ヴァイオレンス』(2013)のアレクサンドロ・アブラナス(Greek New Wave / Greek Wierd Waveもとうとうまとまって紹介されることがなかった……)、『コード・ブルー』(2011)のウルスラ・アントニアックらもガンガン日本で公開されてほしい。ウルリヒ・ザイドルの新作も!


10

ヨルゴス・ランティモス籠の中の乙女』(2009)日本公開2012
2012年にシアター・イメージフォーラムで鑑賞。アイヴォリーと無音によってつくられる端正な画のなかで、家族の暴力性を、わらいにさえも突き抜けた狂気によって暴きだした大傑作ウィアードムービー。ランティモスにとっては日本公開作のなかで唯一のR18+映画であり、舐めまくりのヤリまくり、痛々しいグロシーンも盛りこまれた奇天烈かつラディカルな一本だが、家のなかだけで育てられた名前すらない三人の子供たちの奇行がシュールなわらいを誘ってくれるので、重苦しさはまったくない。未公開作である『アルプス』(2011)、『キネッタ』(2005)、ついでにツァンガリの『アッテンバーグ』(2010)を上映してくれるの、ずっと待ってるから!


9

ネメシュ・ラースロー『サンセット』(2018)
2019年に下高井戸シネマで鑑賞。10年代最強コンビのひとつであるネメシュ・ラースロー×エルデーイ・マーチャーシュの最新作にして最高傑作。WW1前夜のブダペストを舞台に、ハネケの『白いリボン』(2009)を彷彿とさせる戦火の前触れとしての衝突と、沙村広明の『ブラッドハーレーの馬車』めいた祝/悪意の祭が、前作『サウルの息子』(2015)を踏襲した近傍のカメラワークで語られる。主人公イリスの内面が徹底して明かされないことのサスペンスが、現実の解決不能性を提示しつづけ、その持続をもって跳躍した驚くべき着地にも脱帽せざるを得ない。師匠にあたるタル・ベーラの魅力がわたしにはあまりわからないが、教育者としては優れているのかもしれない。


8

(予告編が見当たらないため本作の基層ともなっている「LIVE福島」の記録映像)
今中康平『あの日~福島は生きている~』(2012)
2013年に自宅でDVDで鑑賞。10年代エモーショナル賞を授けたい、震災後を生きる福島の人々をとらえたドキュメンタリー。上記の記録映像に象徴されるように、随所で鳴る歌が胸に響き、映画としての出来がよいかは正直なんともいえないが、福島に生まれた者としては観ているとすべてが感情論に行き着くのではないかと思うくらい心をゆさぶられる。同種の想いを抱いた作品に豊田直巳と野田雅也の共同監督作『遺言原発さえなければ』(2014)があり、1本の映画として観たときには不満が残るが、作家の情念が焼きついたかのような様相がかもしだされていて、そうした類の作品はどのようなものであっても見る者の心にきょうれつな作用を与えることを認識させられた。


7

細田守おおかみこどもの雨と雪』(2012)
2012年に新宿ピカデリーで鑑賞。最早名作の域に鎮座しているであろう本作に、いまさら何かつけくわえることがあろうか? 『バケモノの子』(2015)も『未来のミライ』(2018)もなぜ観にいかなかったのか?


6

宇田鋼之介虹色ほたる永遠の夏休み』(2012)
2012年にワーナー・マイカル・シネマズ海老名で鑑賞。10年代最強アニメーションはこれです。夏休み・タイムスリップ・ノスタルジーと3拍子揃った王道ストーリーに、全カット手描きかつ動画までもが国内発注という徹底した作画へのこだわりが全編にわたって力を与えた、10年代アニメ史に残る輝かしき名品。郷愁ただよう田舎の風景に、夜空を飛び交う蛍の繊細な光、橋本晋治担当の人の輪郭がうねうねしつづける驚嘆すべき会話シーンなど見所は数多くあるが、白眉は大平晋也の描く終盤の疾走シーンで、作画系アニメの極北として名高い高畑勲かぐや姫の物語』(2011、未見)もよく引き合いにだされているようだ。新海誠『君の名は』(2016、未見)の参照項としても本作の名が挙がっているようで、いつか観る機会があれば比較してみたい。先鋭的なキャラデザインがポピュラリティを獲得できなかったのか興行的には失敗し、ご都合主義のラストだの統一感のない作画といった批判も数多く見られるが、そうした雑言は軽く吹き飛ばすだけのポテンシャルをもった知られざる優品である。ゆえに、エンドロールの後にでてくる最後の一文が蛇足過ぎて……。


5

ラージクマール・ヒラーニ『きっと、うまくいく』(2009)日本公開2013
2013年にシネマカリテで鑑賞。人生で唯一観たボリウッド映画にして、随一のマスターピース日本版予告篇 のヒドさにあたまを抱えたが、中身はここまでふざけきっているわけではなく、三馬鹿(原題『3 Idiots』)がくりひろげる茶目っ気たっぷりの学園コメディにシリアスなインドの現実が加味された、万人に刺さる紛うことなき超級エンタメに仕上がっている。


4

黒沢清クリーピー偽りの隣人』(2016)
2017年に新文芸坐で鑑賞。黒沢清は10年代に8本も長編を撮っているが、わたしが観たのはそのうち3本(本作、『リアル~完全なる首長竜の日~』2013、『散歩する侵略者』2017)に過ぎず、まして代表作と名高い『回路』(2000)や『CURE』(1997)も未見というずいぶんと心許ない立場からいわせてもらえれば、本作が彼の最高傑作である(いちばん好きなのは『アカルイミライ』2003)。史上最高の照明とエキストラワークが劇的に炸裂する川口春奈の語りをとらえた長回しワンカットによって、この作品は類稀なる恐怖の文法を発明し、新たなホラー映画の高みへと一足飛びで昇りつめた。しょうもないリアリズムと安直な物語信仰を掲げて本作に低評価を下す者も少なくないが、その事実に「映画」を愛する者として断絶の涙を禁じ得ない。


3

フリドリック・トール・フリドリクソン『マンマ・ゴーゴー』(2010)
2012年にユーロスペース(tnlf)で鑑賞。映画館で唇がひきつるのを抑えられず、嗚咽を漏らして泣く寸前にまで至った唯一の作品。監督の実体験から出発した映画で、認知症の母をもつ映画監督の息子を主人公に据え、ふたりの老いた男女が故郷を目指して老人ホームから脱走する詩情にみちたロードームービー『春にして君を想う』(1991) を下敷きにしながら、母の病いによって起こる数々の騒動をユーモラスに描く。当時は「映像」に関してわたしに最大の影響を与えている松本俊夫の洗礼を受けておらず、単純にストーリーを追って映画を観ていたにすぎないが、であるとしても映画がすすむにつれて無軌道になっていく母・ゴゴの最終的な終着地には滂沱の涙を流すしかないではないか! 声こそ漏らさなかったものの、襟がぐしょぐしょになるまで涙を流した作品としてエミール・クストリッツァアンダーグラウンド』(1995)がある。


2

小林啓一『ももいろそらを』(2011)
2013年にシネマカリテで鑑賞。オールタイムマイベスト1邦画。文句なし。パーフェクト。本作は静謐なモノクロームで描かれた、みずみずしい現代の「十九歳の地図」である。新聞記事を通して世の中の出来事を一つひとつ採点している、不機嫌で口のわるい女子高生・いづみが、ある日大金の入った財布を拾ったことから始まる、か細い糸で綴られたもろくて美しい青春のかがやき。全編が監督自らの手持ちカメラで撮影されており、いづみたちがくりひろげる会話、仕草、感性のまぶしさが、限りなく高純度で切りとられている。観た当時にはあまり意識していなかったことだが、これもガールズムービーの範疇に入るのだろうか。所作の一つひとつが心底すばらしかった主演の池田愛が本作以後あまり目立った活躍を見せていないのに対して、監督の小林啓一は、『ぼんとリンちゃん』(2014)『逆光の頃』(2017)『殺さない彼と死なない彼女』(2019)とオタクカルチャーに接近を見せながら、一貫して若者のすがたを鋭敏にとらえた作品をコンスタントに撮りつづけており、ともに2020年代のさらなる飛躍が望まれる。


1

マーク・ロマネク『わたしを離さないで』(2010)
2011年にアルテリオ映像館(KAWASAKIしんゆり映画祭)で鑑賞。映画館に通いつめるきっかけとなった、わたしにとっての記念碑的作品。2017年のノーベル文学賞受賞をきっかけに脚光を浴びたカズオ・イシグロの傑作小説を原作に、マイケル・ジャクソン、マドンナ、デヴィッド・ボウイ……と錚々たる面々の作品を手がけてMV界で名を馳せてきたマーク・ロマネクが詩情と悲哀にみちた映像作品に仕立てた本作は、日本でも舞台やテレビドラマ化される普遍性をもった悲恋物語でありながら、冷徹で容赦なき近未来SFでもあり、つつましくてエモーショナルな青春映画でもある。キャリー・マリガンアンドリュー・ガーフィールドキーラ・ナイトレイとすさまじい布陣がキャラクターを血肉化すると同時に、霧がかったような淡い色調設計が原作の質感をみごとに視覚化し、小説と比肩するもうひとつの傑作として結実している。自らに課せられた運命を静けさをもって受け入れていくキャシーのけなげさ、どうにもならないやりきれなさを爆発させるトミーの慟哭が、作中なんども奏でられるレイチェル・ポートマンの弦楽とともに観る者の胸を打ち、容易に癒えない傷を残す。耳目をみたすすべてが愛おしい、特別な作品。