両足の親指のねもと

内出血がひどい。原因が分からないのがこわい。それとは関係ない(と思いたい)が、小指の爪も丸々ぺりとはがれた。のが150にちほどまえのことで、げんざいは小指の爪はもとどおりになり、両親指の爪のねもとに打たれていたドス黒い楕円はつまさきの方へとじわりと、でもたしかに移動している。ささやかでみじかい旅路をながい時間をかけて歩んできたというこのことが、そのままわたしの150にちのことをも指しているようで、自らの立つ場所について考えている。

スピッツApple musicにあがっている全アルバムを聴きおえた。捨てアルバムがひとつもない。あまり好きではなかった『インディゴ地平線』も、いま聴きかえしてみれば温度に統一感をもったすばらしいアルバムとして耳に入ってくる。マイベスト10の選出がむちゃくちゃにきびしい。決まったらスピッツ会をdialogueでひらくので、みんな自分のマイベスト10をたずさえてきてほしい。冬のあいだに開催予定。スピッツが好きならだれでもうぇるかむ。


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京都の水鳥たち


小説の完結がちかい。のだが、どうも手詰まりを感じている。本来なら先月末〆切の賞にだすはずだったがおわらなかった。もっと焦れよ。二次落ちの昨年よりもいい結果がでればまあいいか程度の自身のこころもちがゆるせない。とはいえ自作を見る目はつねにきびしくあらねばならない。ホップ・ステップ・ジャンプだねとねごとをほざきながらちまちま書きすすめている。

デザインをしている。たのしい。いくら作業していてもつらくならない。天職だと思う。おれはデザインのしごとでおまんまを食っていきたい。わたしのやりたいことは10代のおわりころからずっと「編集」で、それはべつに書籍や雑誌の編集にかぎらず、こうしたデザインの領域や、美術や文学作品を制作するとき、もっといえば映像や音楽のエディット、さまざまなキュレーション、料理といった分野でもちからを発揮することができる。さいきんはそこに「イメージ・エディトリアル」という言葉を付したくもなっている。それはなんぞやということをより緻密に、徹底して言語化するためにも、はやいところ作例をつくりあげたい。いまやっている案件は今月の文学フリマで買えます。詳細はまた後日。べつの案件もまた新たに舞いこんできています。デザインだけで生活できるようにはやくなりたい。そしておまんま以外のところに思う存分ちからを注ぐのだ。やりたいことをやる人生にしないでどうする!

さまざまな潮時を感じている。来年、マジでカナダへ行こうかな。ワーホリのタイミリミットは日々刻々と迫っている。ちからの入れどころの選択。もう少しで28になる、といつかの木下理樹も歌っていた。