夜汽車が通る瞼の裏を

スパゲティを茹で、オリーブと豚味噌と和えて食す。醤油も数滴たらす。いちにちの大半を寝床で過ごしていた。カステジャーノス・モヤをよむつもりだったのだが、漫画と戯曲を読んでいたのだった。

トロプリ8話。前回「想像力」を語っていたみのりん先輩が、料理がヘタクソであるギャップがかわいく、またその想像力がクルルンに模したキャラ弁を食べられないことにもつながっていて、いいなと思った。とにかくずっとギャグノリなのがたのしい。

しごとのメール。ここのところいろいろうごきだしているので、4・5月はそれなりにいそがしくなりそう。といっても会社員時代ほどではないと思いますが、、そんな具合でひさびさにプレッシャーがかかっている感覚がある。さらにちょうどよく機嫌のわるいひとが家庭内におり、悪影響がすごい。余計に胃が痛くなってしまう。すべてがうまくいきますように。

朝、バターロールをトーストし、そせじとスクランブルエッグといっしょに食す。フライヤーの構想を練りつつ、テキストの編集をすすめたり、テキストの修正案を考えつつ、フライヤーの仮デザインをすすめたりする。ともに自主制作ではなく、クライアントワーク。ひさびさにいちにち中PCの前に座り、眼精がおわる。背骨も痛い。BGMはベボベ、スターズ、カネコアヤノ、デア・プランetc. 途中電話打ち合わせなども交え、やってる感がでてきた(じっさいやってる)。


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夜、鶏もも、大根、玉ねぎ、オリーブの煮込み。そせじもボイルして焼く。インスタント味噌汁や漬物の類と共に食す。オリーブを食べるようになったのはひとり暮らし時代だが、料理につかうようになったのはこっちに帰ってきてからだ。向こうでは精々クラッカーの上にチーズや生ハムなどと載せるくらいだった。それもうまいが、こうして食材になっても深い旨味をだす。

風が鬼つよ。イヤホンをして音楽を聴いていても、家に吹きつける風雨の音が1階までとどろいてくる。いい加減つかれたので日が変わる前にしごとをやめ、2階の寝床に寝そべると、さらに自然の脅威をちかくに感じる。屋根があるってすばらしい。

けっきょく今日も本をひらかなかった。ラジオまでに読みおわれるだろうか?

無声映画のアンソロジー

妹に薦められ、ソウマトウ『シャドーハウス』を読む。10話くらいまで読んだところで、これいつおもしろくなるの?と推薦者にたずねてしまうくらいにはスロースターターだったのだが、まだまだといわれるがままにスワイプしていくと、ちゃんとおもしろくなってきた。設定からは『わたしを離さないで』のことを思いだし、芋づる式に『約束のネバーランド』(読んだことはない)のことがあたまに浮かび、しらべてみると本作の帯文を約ネバの原作者が書いていることがわかる。途中で無料公開の範囲がおわっていたのだが、構わず10話ぐらい飛ばして最新話まで読む。アニメが放映されたばかりのようなので観てみるか?とも思う。「今期」という言葉が飛び交うような領域でアニメを観ることを辞めて、もう10年以上経つ。

朝はキャベツと唐揚げをのせた汁なしうどん。だし醤油とごま油でタレ。醤油を入れすぎてしょっぱい。


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松田正隆『月の岬』。Hさんがわたしの小説を読んでこの作品を思いだしたといっていたのでメモっておいたのだった。まったくもって光栄だと思った。この作品が雲だとすれば、わたしの作品は泥以外のなにものでもない。長崎の離島を舞台に、ある家族に生じる亀裂を、核心の周縁をじわじわと忍び寄るような筆致で描いた静かな作品である。水を飲むような、それでいてその水はしずかに胃のなかにたまり、しらずしらずのうちにたしかなおもみとなるようなふしぎな読み心地であり、透明ながらもずっしりとした読後感がからだの内奥に残る。決定的な事件や出来事を書かないことこそが、逆にその存在を際立たせ、観客に対して、いま眼前で起こっていることの背後への想像力を駆動させる回路をつくる。蝉が騒ぎ立てる真夏という舞台設定もうまく噛み合い、読んでいるあいだ、見えないおそろしさがつねに空間をみたしている光景が浮かんでいた。徐々に明らかになっていく登場人物の関係性によって物語が語られていくスタイルも、そこで引かれる線のあいだに類似性を発見するだろうわたしたちがうろうろするための余白がおおきく設けられていて、そのよく設計された庭のようなつくりには感嘆するばかりだ。そして本作は、わたしのような観客/読者だけでなく、役者にとってもひじょうに示唆を与えてくれるテキストのように思う。

残された、水差しとコップを見つめている信夫。やがて、水を注いでみる。
そして、飲む。…… 味わう。
うまくも、まずくもない、ただの水である。

こうしたト書きの部分を、役者がどのように演じるのか。ひじょうに興味がかきたてられる。並大抵の俳優ではこの三行を舞台上で実演し、その内実を観客に届けることはむつかしいだろう。上演を観てみたい、とつよく思った。戯曲はここで読めます。

ブログ巡回。青森では13日ころに桜が咲いたそう。地域のちがいをたのしく思う。黒沢清ドレミファ娘の血は騒ぐ』がユーネクストで配信されたとの情報も得、ちかぢか観るぞとほくほくする。つい昨日、メインヴィジュアルがいいんだよなと検索して見ていたばかりだった。

花丸ください、いっとうおおきいやつ

ダニエル・J・クラーク『ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-』(2018)。めちゃわらった。21世紀になってふたたびじわじわと波及しはじめた、地球平面説を信じるひとびとを題材にしたドキュメンタリー。怖い作品でもあるが、エンタメとしてつくられているので、ひじょうにたのしんでしまった。平面説支持者がトンカチをもってピンポン球をバウンドさせながら、おれは記憶力がすごいんだと元素の名前をベラベラ喋りだすさまなど、ほんとうにすばらしい。名前がPATRICIAだからCIAの手先なんだという論法は、日本における陰謀論者もよく用いるこじつけロジックで、やっぱりわらってしまう。ひとつの陰謀論を信じるひとは、芋づる式にほかの陰謀論にも染まっていくのは、それがコミュニティを形成するもの(信者向けのマッチングサイトまである!)として存在しているからであり、社会から爪弾きにされてきたひとびとが、ようやく手にすることのできた灯火として、まったいらな地球は青くかがやいているのだった。

地球平面国際会議の様子など見ていると、わたしも陰謀論を信じるひとびとに囲まれながらしごとをしていた過去が思いだされ、憂鬱なきもちになった。あのひとたちも、どこかで人生がゆがんでしまったがゆえに、ああしたものを信じるようになったのだろうか? 反権力・反体制の姿勢が陰謀論を育てる土壌になると映画のなかでもいわれていたが、下手をすればわたしも足もとをすくわれる日がくるのかもしれない。彼ら(地球平面説を信じるひとびと)も「(地球平面説の)支持者らを馬鹿にせず、科学者になり得た存在と見るべきだ。我々は彼らを拾い上げるべきなんだ」とスピーチする科学者がいたが、そうした上から救いの手をさしのべるような態度ははたして彼らを救うのだろうか?

『返校』につづけて観たのだが、おどろいたのはともにジョージ・オーウェルの『1984』が作中に登場することで、この〈ディストピア的なイメージ〉は、もはや現在のスタンダードとして共有されているのだなということだった。じっさい、わたしも未来に明るさを感じるかといえばむつかしいと答えるしかない。


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唐揚げを揚げ、ハムとキャベツともやしのミルクスープをつくり、食す。富野由悠季機動戦士Zガンダム』14話を見つつ。クワトロの「何をする気だ、アムロ! ……アムロだと?」のよさよ! 先にも触れたことがあるが、ニュータイプがどんな存在であるのかをこのわずかな台詞があざやかに明示している。「下がってろ、シャア!」とこれまた無意識にアムロが口にするが、1stでの主人公とライバルをこのようにして再会させることのドラマチックさはきょうれつだ。本作の主人公であるカミーユが、輸送機から脱出したアムロを手のひらに載せてキャッチするのもいい。絵コンテと演出は今川泰宏

途中でフライヤーの打ち合わせの電話をし、そこからビデオ通話になだれこむ。いつものHさん、Qさんと、はじめてしゃべるSさんYさん。愉快な会話を聞いてたのしくなる。こういうくだらなさの時間がいまの生活にはほとんどない。家族との会話は別様のくだらなさである。日をまたいてしばらく経ったころ、wifiが突如切断され、それにともなって通話も切れたので、そのまま眠る。朝になってもwifiは切れたままで、再接続に手間をかける羽目になる。

死に神フラッシュ!

アジカン、アイドルズ、ピロウズなどを聴きながらインターネット放浪。テキストに向かう意志をもたれよとおれがささやくが、指がいうことをきかない。

ラーメン屋に並んでいたときのこと、わたしの前や後ろに立ち並ぶひとのすがたを見つめていると、年相応の格好という言葉がぷかと脳裏に浮かび、わたしはそんな枠組みから飛びだして生きていきたいと思った。とはいえ、加齢にしたがって似合わなくなる服もでてくるわけで、これまで好んで着てきた衣類も着れなくなってしまうときがくるのだろうかとかなしくもなった。せっかくもうスーツを着なくていいのだから、もっとファッションファッションの人生を送りたいよな。

土の深く埋まっていた指の先が膿んでいる。痛い。破傷風の恐怖。指に傷があると、手をつかう動作が億劫になり、何もしたくなくなる。怪我といえば、冬のあいだに挫いた足首がいまだに階段の降りる際などに痛み、いまさらながらに大丈夫かねと心配する。ボロボロの身体。

健康管理をそのひと個人の責任に帰すロジックは会社/社会がよくもちだすものだが、あまりにも人間中心主義すぎやしないか? 自分以外の自然や生命をすべてコントロールできると思っているがゆえにでてくる発想だ。傲慢だ。「自然」を説いていたひとが、同じくちでことあるごとに「自己管理」と述べていた。ネオリベ的主体。


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スー・イースアン、チョアン・シャンアン、リウ・イー『返校』(2020)1-2話。台湾発のホラーゲームを原作としたネットフリックスオリジナルドラマ。だいぶ前に友人Oから教えてもらい、メモしていたのにやっと手をつける。画の質感がくっきりなめらかな感じで、そこに怖さがない。初代PS的グラやら8mmフィルムやらでのホラー描写を立て続けに観ていたこともその感覚を増長させているかもしれないが、ホラーをやるのなら、そこに意識はあって然るべきではないか?

全体主義的統制と「見られる」恐怖をむすびつけているのは冴えているが、そこまでの徹底はなく、そこも気になった。レオス・カラックス『ポーラX』での茂みからのショット的なものがあらわれるとおもしろいのでは。全8話ということで、今後でてくるのだろうか。2話の冒頭で1話での体制をどんでんさせる人物を登場させる構成は、観客の興味を引かせる方法としていいなと思った。2話では手持ちショットが増え、不安感がふくらまされていたような気がする。

づんづん峠で滑落死

長峯達也『映画 Yes!プリキュア5GoGo! お菓子の国のハッピバースディ♪』(2008)。プリキュア5かつ同監督では『鏡の国〜』(ラジオで取り上げたのになぜブログに感想を書いてないのか!)の方が好み。「眠り姫」(眠れる森の美女)を下敷きに、愛する者に名を呼ばれる/くちづけされることによって洗脳状態から正気を取りもどしたり、フリーズ状態から復活して敵を撃退したりとアツい展開の連続で物語に起伏をつくっているのだが、すこし上滑りしている感じがあった。展開そのもののパワーだけで乗り切っているというか、積みかさなって映画を支える細部の弱さ、薄さが感じられ、そこが物足りないのだった。そのように思ってしまうのは、「のぞみのバースディパーティをやるため」という戦いの理由づけのスケールのちいささも影響しているかもしれない。敵の親玉であるムシバーンの目的が、「自らが満足できるお菓子を食べること」というのもどうだろうか。「損得じゃなくて、わけあうとうれしいたのしい!」ということが作中いくども語られ、個ではなく調和を説いているのだが、ラストバトルにおける応援の掛け声が「ドリーム! ドリーム!」とキュアドリーム単体に向けられるものであるのも疑問を感じた。本作はずっと「みんなで」を賞揚していたのではなかったか。

とぶつぶつ文句をつけたが、バトルシーンの作画のつよさを筆頭に、見るべきポイントはいくつもある。プリンを食べあいっこするこまちとかれんのシスターフッド感や、本編前の妖精たちがミラクルライト2の使いかたをレクチャーする寸劇は微笑ましい。それがあってかどうか、開始早々に変身→バトルを入れ、観客(幼児層)の関心を惹きつける構成もおもしろかった。キスシーンがあるというのも、プリキュア史を考える上では見逃すことができないだろう。それにしてもミルク/美々野くるみミルキィローズはかわいい。この精神はトロプリのローラに引き継がれている気がする。

また「本当に悪い子だったら、やさしい味のお菓子は作れないナツ」という台詞が、本作におけるアナザー主人公チョコラ姫を評する言葉として中盤にでてくるが、この素朴さはちょっと危ないのでは。子供を馬鹿にしてはいけないと思う。


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『レイズド・バイ・ウルブス』4話。話がうごいてきた感じはあるけれど、、投げずに観つづけて大丈夫か?

夜、人参とエリンギの炊きこみご飯。昨日のあまり、ほか惣菜類。惣菜のある日は食べすぎてしまうので今後控えようと思った。

桜のグラフィックをつくってついったといんすたにあっぷする。ピンクを基調にした、春めくかわいらしいカラー。いんすたは縦横サイズに制限があって疎ましいなとずっと思っているのだが、そのままだと見切れてしまう画像の見せかたを新たに習得してウンウンとうなずく。今後もつかっていこうと決める。春、いちばんきらいな季節である。

くちづけの貧弱

祖母らとラーメンを食べ、桜を見にゆく。せんじつの祖母とはちがう祖母である。今日のラーメン屋は全国的にも名店と名高い店、評判にたがわぬおいしさに舌鼓を打った。とにかく麺がちょう好み。曽我製麺。肉そばを食べたが、チャーシューはこんなにいらんなと思った、つぎからは控えようか。肉肉しいものと、脂脂したものが混在していたのもマイナスポイント。花のほう、桜は少々散ってはいたが、目に麗しく、胸が弾んだ。祖母とふたり、ふらふらと歩いてはパチパチと写真を撮る。しだれているタイプである。ポスターでは巨木の様相だったが、じっさいに見てみるとそうではなく、広告マジック・撮影マジックであったことが理解された。なお、この祖母は今月末から同じ屋根のもとに住まうことになる。幼いころに、もっともわたしとよくいっしょに過ごしたひとである。こうした時間をいまの年齢で設けることができるのはうれしい。

夜は油味噌と、豚肉、茄子、人参、木耳、卵で中華風の炒めもの。味つけはコチュジャンオイスターソースをベースにてきとーにやる。豚バラ肉をつかったので脂による照りがすごい。

ラジオ、話題の多さに比べて時間的にコンパクトにまとまった。むしろその題材の数が、話す分量を制限したといえるかもしれない。


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富野由悠季機動戦士Zガンダム』11-13話。大気圏突入(11話「大気圏突入」)、核爆発(12話「シャトル発進」)、とドラマをつくりだす大物の登場がつづく。カクリコン・カクーラー(なんていい名前だ!)やロベルト(苗字がないのかよ!)、7話「サイド1の脱出」でのライラ・ミラ・ライラ(なんていい名前だ!)もそうだが、あっさりとひとが死んでいくのも印象的だ。先にゲームなどで人物をしっていることが、その存在をさらにおおきくわたしに感じさせており、それが喪失感・あっけなさを増幅させている。また、何かの「続編」をつくる上で、本作はかなり参考にすることができるのではないか? 登場人物や設定を引き継ぎながらも、新しいフォーマットがそこには敷かれており、話がすすむにつれてポツポツと前作のひとらがでてくるつくりはひじょうによくできている。次回14話のタイトルは、前作『機動戦士ガンダム』の主人公の名が題された「アムロ再び」である。なんとアツい展開だろうか。

観おえたのち、草むしりをする。草花が好きとラジオでのたまった舌の根が乾かぬうちに、家のまわりで青々と茂り、色鮮やかな花びらを見せている草花たちを「雑草」としてつぎつぎにひっこ抜いていく。ひどい話だ。クローバーの群生を「地中茎滅殺」などとぶつぶつぼやきながら片づけていると、芋虫やらなめくじやらダンゴムシやらムカデの赤ちゃんやらがわらわらとあらわれ、生物の隠れ家になっているのだなと感心した。それらを殺めぬように気苦労しながらあらかたむしりおえ、黒くなった軍手を脱ぐと、爪と肉のあいだに土が奥深く入りこんでおり、その掃除にひと苦労ふた苦労する。痛みにひいひいいいながらも、縫針や爪楊枝の先で肉をほじくってまで除去をしたのだった(ちょうどささくれができており、その裂け目に真っ黒い土塊がつまっていたのである)。指の皮がベロとむけた箇所もあり、ひりひりと赤みを見せていた。

撃沈したのはきみのほう

昼、キャベツときゅうりと煮干しのサラダ。ガーリックバターライス。夜にステーキを焼いてそれを載せる。煮干しがでかい+かたいで食べにくく、次回はもっとちいさいやつを買わねばと思った。朝はスープを飲んだ。べつにインド系のスパイスをつかっているわけではないのにラッサムのことを思いだす味。午前中はブログを書き、食事を摂りつつ、富野由悠季機動戦士Zガンダム』。5-10話。vs.ライラ・ミラ・ライラのシーンを観て、むかし頓挫したのは7話だったことに気づく。こんな序盤で! 10数話まで観ていたつもりだった。こんなにおもしろいのになぜ途中で観るのをやめたのかとかつての自分を修正したくなる。とはいえ、いま観るからこそすくいとれるものもある。

反感たっぷりに天邪鬼に生きるカミーユはなんて魅力的な主人公なんだろうか。こういうキャラクターだと台詞のキレがちがう。すごい好き。年上の女のひとにすぐ好意をもってしまうのもかわいらしい。10話で幼なじみのファと再会したけれども、カミーユ自身はファを疎んでいるというような次回予告のナレーションがあってわらってしまった。恋愛がドラマをつくりあげるってのはほんとうにそうなんだよマジでとダンバインのことを思いだしながら観ている。

先に挙げたライラとの戦闘シーンや、エマとの何気ない会話であらわれるが、無意識の反応/感応が、意識下にのぼらないまま言葉になって口から飛びだしてしまうニュータイプと、富野節の相性のよさはサイコーである。1話から10話まで、ずっと脚本クレジットに斧谷稔の名が記されており、富野作品のなかでもだいぶお気に入りの作品になりそうな気配がプンプンする。元来Zはいちばん好きなモビルスーツだし、ようやっと全編観れるのだと期待値も高いのだった。


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気晴らしにグラフィックの制作。せんじつ撮った桜の写真をもとに、さいきんのグラフィック・シリーズにつらならないものをつくりはじめる。しいていえば季節シリーズ? 一昨年の夏に「惑星の速度」と題した暑中見舞いグラフィックをつくったのだが、これもその延長線ということにする。自分で撮影した素材をつかうのはいちど排気口のプレヴィジュアルでやった以来? 自分の長けた部分をのばしていく方針には同意しますが、こういうあんまりやってないこともやっていきたいですね。

日を越す前にねむり、健康的な時間にめざめ、演劇制作がいかにブラックかという連続ブログを読んだり、妹にすすめられたweb漫画を読んだりしてうだうだする。