花丸ください、いっとうおおきいやつ

ダニエル・J・クラーク『ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-』(2018)。めちゃわらった。21世紀になってふたたびじわじわと波及しはじめた、地球平面説を信じるひとびとを題材にしたドキュメンタリー。怖い作品でもあるが、エンタメとしてつくられているので、ひじょうにたのしんでしまった。平面説支持者がトンカチをもってピンポン球をバウンドさせながら、おれは記憶力がすごいんだと元素の名前をベラベラ喋りだすさまなど、ほんとうにすばらしい。名前がPATRICIAだからCIAの手先なんだという論法は、日本における陰謀論者もよく用いるこじつけロジックで、やっぱりわらってしまう。ひとつの陰謀論を信じるひとは、芋づる式にほかの陰謀論にも染まっていくのは、それがコミュニティを形成するもの(信者向けのマッチングサイトまである!)として存在しているからであり、社会から爪弾きにされてきたひとびとが、ようやく手にすることのできた灯火として、まったいらな地球は青くかがやいているのだった。

地球平面国際会議の様子など見ていると、わたしも陰謀論を信じるひとびとに囲まれながらしごとをしていた過去が思いだされ、憂鬱なきもちになった。あのひとたちも、どこかで人生がゆがんでしまったがゆえに、ああしたものを信じるようになったのだろうか? 反権力・反体制の姿勢が陰謀論を育てる土壌になると映画のなかでもいわれていたが、下手をすればわたしも足もとをすくわれる日がくるのかもしれない。彼ら(地球平面説を信じるひとびと)も「(地球平面説の)支持者らを馬鹿にせず、科学者になり得た存在と見るべきだ。我々は彼らを拾い上げるべきなんだ」とスピーチする科学者がいたが、そうした上から救いの手をさしのべるような態度ははたして彼らを救うのだろうか?

『返校』につづけて観たのだが、おどろいたのはともにジョージ・オーウェルの『1984』が作中に登場することで、この〈ディストピア的なイメージ〉は、もはや現在のスタンダードとして共有されているのだなということだった。じっさい、わたしも未来に明るさを感じるかといえばむつかしいと答えるしかない。


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唐揚げを揚げ、ハムとキャベツともやしのミルクスープをつくり、食す。富野由悠季機動戦士Zガンダム』14話を見つつ。クワトロの「何をする気だ、アムロ! ……アムロだと?」のよさよ! 先にも触れたことがあるが、ニュータイプがどんな存在であるのかをこのわずかな台詞があざやかに明示している。「下がってろ、シャア!」とこれまた無意識にアムロが口にするが、1stでの主人公とライバルをこのようにして再会させることのドラマチックさはきょうれつだ。本作の主人公であるカミーユが、輸送機から脱出したアムロを手のひらに載せてキャッチするのもいい。絵コンテと演出は今川泰宏

途中でフライヤーの打ち合わせの電話をし、そこからビデオ通話になだれこむ。いつものHさん、Qさんと、はじめてしゃべるSさんYさん。愉快な会話を聞いてたのしくなる。こういうくだらなさの時間がいまの生活にはほとんどない。家族との会話は別様のくだらなさである。日をまたいてしばらく経ったころ、wifiが突如切断され、それにともなって通話も切れたので、そのまま眠る。朝になってもwifiは切れたままで、再接続に手間をかける羽目になる。