ドアノブ・ドライヴ

ひろプリ35話。野球部回。「特別コーチ」の語のひびきに弱いソラがおもしろい。エルちゃん回でも同様の言葉に弱いことが明かされていた。ソラの友人たちが数多の部活からの勧誘を断る際の「チューチュートレイン」的な構図も愉快。ゲストキャラである部のバッテリーのうち、キャッチャーがかなり低い声のキャラクターとして設定されていて、その選定にプリキュア倫理を感じるのだった(観ている子供の中にも声の低い子がいる! あらゆる子供の肯定!)。怪我のためチームから離脱を余儀なくされ、腕の手術を前にして「一人ぼっちでたたかう不安」をこぼすピッチャーに対し、一人でたたかうスカイを配置し、さらには相棒であるプリズムとのタッグで「投球」モチーフの技を放ってフィニッシュへと展開する流れが美しかった。脚本は井上美緒。エースの代わりにポジションを変えてマウンドに立つキャプテンが、相棒に向けてのきもちをモノローグで吐露する際に「あなた」を呼称として用いているのにもかなりグッときた。絵コンテは鈴木正男、演出は飛田剛。

わたしの好きなブランドの古着が通販サイトにおいてプロパーから考えればかなり安く出品されているのを見、その販売元が車で行ける距離の店らしかったので、ちょうどそのあたりまででかける親の車に同乗して試着しに行った。かなりよ、だったが、いくら安くなっていると言ってもいまの収支状態的に迂闊に手をだすとのちのち痛い目を見る金額なのには変わりないのでひとまず見送った。こんな逡巡をしなくていい安定した稼ぎがほしい。取引先がギャランティをきちんと支払ってくれるクライアントばかりであったならば、、

いんすたのタイムラインにまったくしらないにんげんのスレッズの投稿(しかも「がんばらなくていい」だの「深呼吸しよう」だのわたしの興味関心からおおきくはずれたなんの変哲もおもしろみも毒にも薬にもならない、ただ大量にいいねだけがついた蝿のたかったゴミみたいなもの)があらわれるようになり、どうしてこうなるのと思った。わたしはしらないにんげんの書いたブログを読むことが好きだが、それは自分でふと偶然に見つける過程そのものこみで好きなのであって、こういう風に「インフルエンサー」の「ありがたいお言葉」をおすすめされるのはかなり不愉快だと思った。いんすただけじゃなくてスレッズもやってくれというプロモーションなのだろうが、逆効果だ。

夜、豚挽き肉・ズッキーニ・茄子・厚揚げのスパイスヨーグルト炒め。にんにく、クローブナツメグジーマージャン、カイエンペパー。うまい。



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嘘をつきたくないという倫理がある。自分はそのディシプリンがかなりつよい。たとえば、親しい友人がつくったものがつまらなかった際に、気休めとして「よかったよ」なんて口が裂けても言いたくない。相手がこの言葉を欲して自分にこう聞いているんだろうなということがわかるコミュニケーションのさなかでも、その言葉が自分の本意とずれていればべつの言葉を発することもままあるし、それで軋轢が生まれることもしばしばだ。ともだちをなくすと思う。

中学生の頃、わたしはテスト勉強というものを家でしたことがなく、「勉強してないわー」をその字の通りに生きてきたのだが、大人になってその言葉の一般的な扱われかたをインターネット上でしった際に、愕然としたおぼえがある。当時のわたしは勉強なんてしなくても点数が取れるタイプのにんげんだったから、「勉強してないわー」をひとつの暗号のように用いていたまわりのひとらにとってわたしのそれはまちがいなく「嘘」としてきこえていただろう。そしてその姿勢は受験の際にも変わることがなかったから、受験勉強をほとんどしなかったわたしは第一志望の進学校に落ち、工業高校にすべりこむことなった。馬鹿な話だが、その事実によって、「こいつは嘘つきだ」と思っていたにんげんの考えが、「あれはほんとうだったんだ」とはならない。

しかし、それは、どうでもいいことである。他人に嘘つきだと思われることと、嘘をつきたくないという倫理はなんの矛盾もなく両立できる。とにかく自分に嘘をつかなければいいのだ。自分に嘘をつかないために発した言葉が、相手にとって嘘として聞こえるなんて、よくあることではないか。倫理とはさしずめ、どこまでいっても自己の問題でしかない。これが利己主義の極北に到達するためのものなのか? このように言語化してみて、疑いようがある、危うい考えかたな気がしている。

いろいろと限界を感じはじめてきた。十代の頃、あれだけあった「自信」ももはや見る影がない。展望が見えない。

同人誌の編集およびデザイン作業。いい感じにすすむ。

ゆーちゅーぶで実況プレイを観た所為でスイカゲームのパチモンに時間が溶かされる。

夜、なめことわかめの味噌汁、塩じゃが煮豚、だし巻き。うまい。煮豚はほんとうはトロトロになるまで煮込むつもりだったのだが、台所に立つのが遅すぎてむりだった。