まだであっていないものの総体とすでにであっているものの総体

本来であればやる必要のなかったカスのような作業のじゅんびをしているのだが、こんな事態を起こす羽目になった先方との過去のやりとりを見かえすたびにいらだちがすごいことになり、四方八方にむちゃくちゃにあばれまわるはらわたがタンボラ山噴火のごとくげきれつに感情のマグマを放出して夜を裂くように咆哮する。なんでこんなになめられなくちゃならんのだ。ぶじに作業に目処がついたらきちんとキレたメールを送るつもりだが、なんでわざわざいちいちキレなくちゃいけないのか。なんでこうなるまでなんの説明もないのか。ブチギレ野郎にならなくちゃフリーランスは生きていけないのか。クソである。そんな社会はクソである。まだちゃんと怒りが湧いてくるからだを保てていてよかった。まだちゃんと殺意が湧いてくるせいしんをたずさえられていてよかった。

夜、惣菜の練り物、揚げ物、昨日のあまり。うまい。

hontou ni iraira suru.

マジでなんでこんなことになってるんだ。

ラジオ。『民衆暴力』のむすびで触れられていた「現代における暴力の所在」という問いを踏まえ、連合赤軍やらインボイス反対署名拒否やらピケテロ運動やら代議制民主主義やらを俎上にあげて左翼全開の放送をしたが、さいしょの発語からさいごの発語まで視聴者は一貫して0だった。

ストックがたまりすぎて書いてから50日後とかに公開されるようなスパンになってしまったので、いまタイトルをつけているぶんがおわったらブログをまいにち更新にシフトしようと思った。こんなに猶予があり、いっときやっていたのだから、いけるだろう。12月からそうなる予定です。よろしくお願いします。

ちょっと気を抜いたら怒りや呆れをついしそうであぶない。内臓が熱い。

ワークワーク

夜、豚茄子玉ねぎの甘辛ソース炒め、豆腐とわかめの味噌汁。うまい。

このような負のエネルギーはかつては詩を書くことで昇華されていったが、いまの気分はグラフィックなので、ワークに片をつけてひさびさに酒をあおりながら制作をはじめる。ああ、おれにはまだこういう回路があったなというよろこびがありつつ、だがけっきょくこうしてつくったものを発表したって反響は皆無にちかいのだからいったい何をやっているんだろうなという徒労感もある。ブログやラジオは見向きされようがされなかろうがとくに差し支えはないのだが、作品となるとまた話はべつだ。吉岡実が「だれのために書きますか」と問われた際にした「自分のため、自分を支えるため」という返答にわたしはつよく首肯するが、同時に、「きみ」に刺さってほしいという願いも同様の強度で自身のうちに存在していることがわかっている。でありながらも、そんな願いとは無縁の位置でものをつくりつづけるひとがいることに、わたしはつよく畏敬の念をおぼえてもいる。好書好日に記載された乗代のインタビューはまさにそうした存在の実例をあらわすものである。


▼これである、各地を歩き回っているからであろう、皮膚に渋みが増してきてカッコいい
book.asahi.com



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制作、すすみよし。カッコいいのができそう。

〆切のちかいもろもろのアンケートに答える。東京滞在の日程も考えはじめる。

夜、エビチリマヨ、豚みょうがの塩だれ炒め。うまい。

つねにページ下部でチカチカしつづける閉じることのできない動画広告を考えたにんげん、死滅してほしい。

プリキュアFのパンフ、これまでのパンフを抜粋して1冊にまとめたアニバーサリー本、ミラクルライトが届く。注文してから2週間以内の発送と書いてあったけれども、まさかジャスト2週間後に発送とは思わなかったね。

夜、チキンソテー、じゃがトマスープ、鯖マヨラー油、茶碗蒸し(レトルト)。うまい。

酢豚ゆうき『月出づる街の人々』2巻。よ、よ〜〜〜〜!という感じですこぶる幸福な読後感。ドタバタしないそれ町感があるのではないか。と書いてからしばらくして、主人公的立ち位置である透明人間・はるみの言動にどことなく歩鳥みがあるのでは?と思った。毛づくろいメイトである狼男への距離感など、まさに歩鳥と真田の関係性にも通ずるものがある気がする。できる弟をもつポンコツ姉というのも相通ずる点。これはたしかラジオで話したことだが(放送からずいぶん経ってこれを書いている)、今巻では1人のキャラクターに焦点を当てた1P漫画のスタイルをとって描かれた話がふたつあり、それはそれでおもしろいのだが、おまけ漫画であるならともかく、本編はページ漫画で読みたいなというよくばりマインドが読んでいて浮かんでくるのも事実だった。キャラクターの掘り下げかたと、構成の問題。

つづけて安田佳澄『フールナイト』も1巻から読みなおし、手をつけていなかった5-6巻も読む。おもちれーーーーーー。おもしろすぎるだろ。コマ運び、天才すぎるだろ。先の月出づる〜に絡めていえば、5巻では表紙にもなっている叶野の掘り下げ話が、本筋の傍流となるにもかかわらず2話にわたってしっかり描かれてあり、巻のあたまにそれを配置する構成面含め、巧さを感じるのだった。傍流といったが、もちろん、その後の展開を描くにあたって、叶野のバックグラウンドがこのようにして明らかにされることがおおきな効用をもつのはたしかで、わたしはこの話を読んでいて「叶野、おまえ死ぬのか、、?」と思ってしまったほどだった。

コマ運びについてもラジオで触れたが、たぶん言及していない箇所について。5巻161頁、ヨミコが国部に対してアイヴィーが生きていると告げる、ヨミコ→国部→国部という人物アップの同幅横長3コマで構成されたシーン。1コマ目、ヨミコの放ったフキダシを枠線をまたがせて2コマ目の国部のあたま(ひとはあたまでものごとを理解する/アクションシーンにおいてはからだで理解する場合もある)にもかさね、コマを斜めに割る生え際と、コマ自体が横長であることを利用して読者の視線を真横に誘導しながら、同コマの国部のかっぴらいた目のみで衝撃的な言葉を受けたことによる静止・興奮(の直前の状態)を読者に伝え、3コマ目において、2コマ目と同じ構図のままコマの縦幅を4倍ほどにひろげ(目だけが映っていた国部の顔が顎まで映るようになる、隠れていた表情が明確になる)、「生きている」という歓喜の台詞を足して、背景に「植物」を映すという演出をほどこす。こういうすごさが毎話くりひろげられており、ちょうぜつだ、とわたしは唸っている。一般的に、映画を構成するそれぞれのカットの重さに比して、漫画のそれぞれのコマは軽んじられているような気がしているが、本作においてはまったくそんなことがない。手抜かりのないコマのみが漫画を構築している。作品の方向性もすごさの意味合いもちがうのだが、『ドラえもん』のそれぞれのコマがヤバい!とむかし思ったことを思いだした。


▼ふたりの顔の向き=立ち位置もいい、頁の流れと話の通りをリンクさせること……(安田佳澄『フールナイト』5巻161頁より)


6巻のアクションもバチバチにカッコいいのだが、これはラジオで話したような気がする?ので割愛。