おまえだけがいる地獄

せいつかさ『昔は良かった』がおわってしまった! 画面のつくりはぜんぜんちがうのだが、味わいのある絵のタッチにどことなく黒田硫黄みのあるグルーヴが感じられ、好きだった。ひとの生き死にがかかわっているのに、かなり展開がとぼけているのもいい。


▼これを書いている時点では1話から最終話までぜんぶ読める、通して読むと、第1話の気合の入りぶりに目を瞠る
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保坂和志『草の上の朝食』を読みはじめたら、以下の一節にぶちあたった。主人公と同じ部屋に住むよう子が、近所の野良猫たちに餌やりをするようになったことについて語っているくだり。

これだけ他の猫たちがなつくようになったのにミイとミャアだけが出てこないのを皮肉な話だと言ってしまうこともできるだろうし、実際きっかけとなったミイとミャアへのこだわりはよう子にもあるのだが、はじめるきっかけとそれをつづけていくこととは心のありようが違う。いまよう子はミイとミャアのためだけではなくて近所にいる猫たち全体のためにエサを配りつづけている。しかし同時にミイとミャアのことも他と違う少し特別な仕方で気にかかっている。

『それは誠』の落ち葉の話じゃん!と思った。つぎに、いや、それよりも『愛の世紀』の出会いと構築の話か?と思いなおした。というか、どっちともちがうのだが、それでも通じあうなにかがあるなと落着した。そんなことをこのように文字にしながら、「ああおれはこんな風に、ある作品のうちにべつの作品に似たひかりを見つけて、逐一よろこんだりおどろいたりなみだを流したりして一生を終えていくんだ」と思った。


それにしてもこの他者の内面にもぐりこんで、その本人ですら気づかない微細な部分を「ぼく」がつらつらと語ってしまう語法はとんでもなく魅力的だ。カバーに引いてある文章も意味がわからなすぎて(いやわかるのだが)すごい。

ぼくはさっき感じたズルズルと愛のようなものに自分が浸っていく気持ちを大事なもののように感じていたのだが、ズルズルがズルズルと一人で勝手に土俵を割っていったような気持ちになった…。

感じた・ズルズル・気持ちがなんかいもでてくる珍妙な文。これをよしとする中央公論新社の営業部も懐が深い。編集者もよく通した。えらい!



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げんざいワークがない状態にあり、そうすると金銭的な不安があたまをもたげはじめるのだが、心身の調子はだいぶよく、〈労働=悪〉のこころもちをよりつよくするのだった。ここさいきん、ブログの文章も脂ののりがちがうというか、調子づいている感があり、それによって労働がにんげんをにんげんでなくしてしまうことが実感されている。なにより本/漫画が読めているのがいい。とはいえ、〆切でひりついた状態も制作にとってはかなりいい状態である、という実感もあるので、シーソーのようにギッコンバッタン秋もやっていきたい。

黒田硫黄『ころぶところがる』。自転車雑誌に連載されていただけあって、かなりニッチな話題(ロード初心者レベルではついていけない)も散見されるが、ストーリーものもあり、とにかく漫画がうまいのでたのしく読んだ。コマ割りのダイナミックさ、陰影の迫力、話の切り方……どれをとっても味わい深い。とりわけ最後の切り方。各話の最終コマを見ると、ここで断つのか!というおどろき・思い切りがある。第12話の途中、スミベタが薄い箇所があったが意図的にやっているんだろうか?と書いて該当部をさすってみたらチョークの粉のようなものがしっかりと指に付着し、どうも印刷ミスのようである。しかもいままでに遭遇したことのないタイプのもの。研磨した(そもそも発売直後に買っているので研磨されていない)紙のカスでもなさそうだし、いったいなにがどうなってこうなっている?

酢豚ゆうき『月出づる街の人々』1巻。よすぎる。あまりによすぎて頁をめくることができなかった箇所がいくつもあった。ここでもなんどか言及している気がするが、いまいちばんおもしろい漫画は安田佳澄『フールナイト』であり、いまいちばんいい漫画は『月出づる街の人々』である。そう言ってしまいたくなる〈よさ〉が詰まっている。そのよさの内実とはなにか。感情をゆさぶるストーリーテリングである。第1話が「透明人間少女と狼男少年」と題され、「ナーガとメドゥーサ」「メドゥーサと蛇と透明人間少女」などと各話の名付けがおこなわれているように、その主題となっている者同士の「関係性」の描写が卓越している。透明人間少女との関係が「ペット」と「飼い主」なのか、「付き合」っているのかという「ゆれ」を、狼男少年が狼のすがたとにんげんのすがた、ふた通りの見た目をしている点をモチーフにすることで描いたり、メドゥーサのあたまに生えた蛇にそれぞれ人格と寿命を設定することによって離別のドラマをつくったりと、とにかく着眼点がすばらしい。ほかにも、フランケンやドラキュラ、ミイラ男など、本書にはさまざまなモンスターたちが登場するが、それぞれの種族(の特性)に対するまなざしがひじょうにやさしく、読んでいてくるしくなるほどだった。ながくつづいてほしい。