不届き者の死滅・消滅・絶滅

パークに走りに行った妹から電話があり、利用するためのカードが自室の机の上にないかと問われる。しばらく探すも見当たらず、ビデオ通話に切り替えて机を映し、「そこは? そこは?」と指示をもらいつつ、時折カメラをインカメにしてわたしの顔を映したりしながら紙の類をめくっていると「それ!」の声が右手のなかからひびく。カードに印字してある登録番号のようなものをスクショして通話は切られる。

山本直樹『定本レッド』読みはじめる。まだ1巻の序盤。平田オリザの『革命日記』を思いだす感じ。各話末尾に反復して配置されるキャラクターの余命および刑の確定日は、西島大介ディエンビエンフー』でも似たような作法がとられていたなと思いだす。なにかを観たり読んだりすることは、かつて観たり読んだりしたものを思いだすことの連続だ。

夜、えのきとわかめの味噌汁、豚長ねぎにんじん舞茸のぽん酢炒め。肉は塩麹胡椒・山椒・小麦粉をまぶしておく。うまい。ここでいうぽん酢は味ぽんではなく、緑の瓶のぽん酢である。

まいにち同じ時間に家にひとがやってくるということがもたらす「定時」の感覚。いまのところプラスともマイナスとも思わないが、わたしの生活にひとつのリズムを与えるのにまちがいはない。

昼、ひき肉プチトマ梅肉うどん。うまい。ねぎものせた。稲庭派である。

ワーク中、なんども祖母の様子を見に行ってしまう。このまま歩けなくなってしまうのはいやだ。ニャンの片割れが祖母のそばでねむってくれるのはよい。おたがいがおたがいを和ませる。ときおり仏壇にそなえてある水をピチャピチャ飲んでいるのがウケる。祖母ではなくニャンの話である。

夜、だしのせ冷奴、スクランブルエッグ、昨日ののこり。うまい。

東京行きの計画を立てはじめる。まず行けるかどうかが問題だ。

いま、かなりひさしぶりに自身が「追われ」状態でないのを自覚した。いや、げんみつにはそうでないのだが、無数の「期日」に追い立てられるような精神が、束の間の休息を得た感じがある。

ついったの検索機能がまともにうごいてくれない。これもイーロンの所為にしていいんですか? Googleの検索結果もしばらく前からおわりはじめている(詐欺サイトが1ページ目にバンバン載る)ので調べ物が不便だ。



570


Vガン4話。「人の複数の考え」を配することのドラマ、ということを思った。語り手ポジションにあるシャクティ厭戦志向を物語のベースに起きつつも、リガ・ミリティアの面々およびイエロージャケットの面々の思惑が、それぞれ「異なっている」ということによってドラマが生まれていく。シャクティが偉いひとに言えばこんなことはやめられるかも、と決意した場面、その「偉いひと」から感謝されることによってそのきもちがうやむやになってしまう展開に、その機微を見た。バトルシーンにおいても、飛び散るビーム粒子によってメインカメラが落ちる描写があり、その細やかな演出にも唸った。のち、ウッソがビームサーベルコクピットごと人を貫いてしまうシーンの時間のつかいかたも印象深かった。何かをやってしまったと感触するウッソの口から思わず飛びでる「お母さん!」の叫び。富野はやっぱりすごい。

先に触れた「人の複数の考え」「異なっている」に関連して、保坂和志が小説についてこのような記述をしていたのをメモっていたので引用する。

それに対して佐藤さんの小説は、その拠り所がはっきり見えないまま進む。文章のテンポは特にいいわけではない、というかそれを狙ってはいない。読者を強く引っぱるストーリーもなさそうだ。そう思っていると
「なんで川?」
「海だとちょっとかっこよすぎるでしょ。かっこよすぎて、かっこわるすぎでしょ」
「どっちにしても水なんだ」
「いや、そういうわけでも」
という会話が出てきて、うまい。というか、しっかりしている。最近、若い人同士の会話を多用する小説が多いけれど、ほとんど誰もこのレベルに達していない。たぶん、
「なんで川なの?」
「うーん、海だとちょっとかっこよすぎるっていうか」
「かっこよすぎ?」
「かっこよすぎると、かっこわるくなるじゃない」
「かっこわるくねえ……」
という感じで、同じ単語が二度三度とやりとりされて、
「どっちにしても水なんだ」
という ”転” が出てこない。つまり、ひとつのイメージのまわりを二人が回っていて、本当のところ二人ではなくて作者一人がそこにいるだけということなのだが、この小説の会話では二人が違うものを見たりイメージしたりしていることが明快に示される。

この”転” が「異なっている」ということである。ドラマは「ちがい」によって生じる。「お母さん!」の叫びだって、ひとりのなかに距離がある。牛歩の歩みが生む味わい(ムージルの小説がわたしのあたまには浮かんでいる、ここで例にだすのが正しいかはさておき)ももちろんあるが、オーバーストライドな走法がつくるすごみもドラマを織りなす重要な要素である。すべてのさえぎりを跳躍せよ!

夜、タイカレースープ、茄子とひき肉と玉ねぎのスパイスヨーグルト炒め。パプリカパウダー・クミン・ニンニク。うまい。タイカレーは現地の土産物で、ペーストを豆乳とヨーグルトでのばし、しめじと玉ねぎを入れて一煮立ちさせたもの。辛い。