存する衝撃

デパプリ44話。最終決戦回。アバンから作画がすごい。レイアウトがバリバリのキメ画カットをアクションの随所にインサートすることによって生まれる画面力。ほかほかハートのちからによって招き猫の置物が隠し球として活躍するわけだが、熊猫軒のパンダまでもがうごきだすのにはわらった。「捨てごまの分際で!」というワードがゴーダッツの口からでることで、前作において「人間の子なんてわたしが女王になるためのただの捨てごま」と吐き捨てていた最序盤のローラの凶悪さが上がる(?)のもウケた。これまでおばあちゃんの言葉を無数に引用して物事を解決してきたゆい=プレシャスが、この最終決戦において自ら言葉をくりだす展開はアツかった。挿入歌演出に芳山作画があわさったフィナーレに至るバトル作画もすばらしい。雌雄はほぼ決したとはいえ最終的な決着は次回にもちこされたが、前回触れた「手」についてはそもそもプレシャスのキメ技が「パンチ」だったことを思いだして、そのさくれつを熱いきもちで見守った。

めざポケ1話。冒頭、曲がりくねった道を真上からパンしていくショット。これまでサトシとピカチュウが歩んできた道のりを象徴的に伝えるこのカットをシリーズのドあたまにもってくる構成に感動する。そんな彼らの次にすすむべき道のりを決定するためのじゃれあいシーンののち、初代OPが流れ、往年のポケモンファンは涙を流すというわけである。むろん、わたしも頬を濡らした。オーキドが講釈を垂れている際のバリヤードの顔がよかった。

ドンブラ45話。脳人はドンブラザーズに入りたがるようになり、雉野はまたも(3度目!)ヒトツ鬼化および即巨大化・即浄化、キングオージャーロボがスポット参戦し、ジロウの愛するルミちゃんは幻影であることが明かされるとともに、タロウは獣人の折り紙を飲みこむという怒涛のてんこ盛り回。獣人たちが彼らの棲む森とこの世との出入り口として冷蔵庫を用いているのではないかと疑うタロウと犬塚の問答がサイコーだった。命令されるのが嫌いだ、という犬塚に対して、「(冷蔵庫に全身を)突っ込んでみたらどうだ?」、「(駐在の足を)揉んだらどうだ?」とそんな語尾変化だけでいいのかよという提案をするタロウ。そこで演出される間の絶妙な時間感覚が見事だった。

夜、豆腐とわかめの味噌汁、鰆の西京焼。うまい。

夜、きのこと豆腐と豚バラ炒め煮。うまい。

夜、鶏胸ステーキ、さつま芋バター炒め、味噌田楽。うまい。

夜な夜なすすめていたワークがひと段落する。深夜になるとしごとのすすみがよくなる。ときおり猫たちがキーボードやトラックパッドを踏みつけていくのでむむとはなるが、、。まだまだ頂は遠いがいったんビバークする。

やばいやばいと噂の寒波がきているがいまのところ積雪はそこまでひどくない。1日1回の雪かきでなんとかなるレベル。

東京行きのじゅんびをだいたい済ませ、寝る。



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わたしには恥の記憶しか残っていない、と黒く汚れたみぞれ雪の上を歩きながら思っていた。ぐすぐずの雪道にキャリーの車輪はもはやまわっておらず、底をひきずるようにして駅から酒屋への道をすすんでいた。つい先日の電話でHさんが大学時代にふたりで飲んだことを昨日のことのように話してくれたのだが、話を聞いていてもわたしの記憶のなかではぼんやりとした輪郭が陽炎のようにゆらめくだけで、そのことがやけにかなしく、また年々記憶がおわってきている自覚もあり、これからそのHさんの住む家へと向かうこともあって、このようにして旅立つ前の思考はめぐっていた。こうして文章に記録を残すことは、恥ずかしくないことをおぼえているためにも役立つだろう。書くことは恥をかくことだと大学時代の恩師のひとりが言っていた。どこかからの引用として話していたような気もする。昨日わたしは雪かきをしていた。文化的でない方の。

酒屋では、冬場なので要冷蔵の酒も買える!と嬉々として棚を見渡し、ひと通りながめたあとわたしの好きな酒を1本ひっつかんだ者がわたしであった。もう1本、「Q」とラベルに印字された酒がわたしをつよく呼んでいたので、空いていた片手をその瓶でふさいだのもわたしだった。そう、ここにもたびたび登場するQさんのQである。のち、出発前恒例の書店に立ち寄り、群像、クイック・ジャパン、ギンザ、装苑などをパラ読みする。途中、今回はもってきた本を読んで時間をつぶそうと思って早めにバスターミナルに向かったのだが、わたしはバスの出発時間を30分遅くスマホにメモっており、そのまま本屋に留まっていたらあやうく目的のバスに乗りそびれてしまうところだった。待合室ではいつも知的障害をもつひとを見かける気がする(彼の口から発されるおおきな声がここにひびきわたる)。