形状のなめずり

セルフクリスマスプレゼントあるいはお年玉としてスイッチライトとポケモンを買う。スパロボ30もめちゃくちゃ安くなっていたのでどうすっかな、と迷っているうちに新春セールはおわっていた。こうやって生き遅れていく。

夜、鶏大根。にんにくとヒハツを効かせる。うまい。

Hさんと新年通話。前々から忘年通話しましょう!と言っていたのだが、ワークがまったく落ち着かず、年明けになってしまった。今回はめずらしくわたしも飲酒しながら3時間弱おしゃべりをした。通話をしていると猫たちが怒りはじめるのがおもしろかった。

うちの猫たちはわたしのコップに顔をつっこんで水分補給をおこなうことがしばしばあるが、今朝はまだ冷めきっていない白湯に舌をのばし、顔をふるわせてびっくりするのを目撃した。皿を洗っていたので制することができなかったのだった。

夜、ボローニャそせじ、ハムの類。うまい。歳暮。

夜、そせじ、キムチ卵チキンスープ、鶏皮大根。うまい。大量にあった大根も半分ほどに減ってきた。

ブラウザを同時起動しているとindesign(2023)のshiftキー(optionキーも?)が作動しなくなるバグが発生し、クソすぎるだろと憤っている。なかでも平行移動とコピーしながら移動ができなくなるのが不便極まりない。いちいちブラウザを落としたりひらきなおしたりするのもめちゃくちゃ面倒なのでどうにかしてほしい。

親がコロナになり、さいあくの労働/家庭環境になる。コロナ離婚は相当あったろうと思う。

夜、チャーシューチーズ納豆餅。うまい。

デパプリ42話。プリキュア初め。前回に引き続きvs.ゴーダッツさま回2。冷蔵庫のウバウゾーの登場になるほど!となる。ボスポジションに相応しいモチーフ選定だ。若き日のクッキファイターたちの回想からの、マリちゃんシナモンタッグでゴーダッツ=フェンネル戦になる展開がめちゃくちゃ燃えた。プリキュアたちのバトル時の作画もキレがあり、なかでもフィナーレの走りかたにすぐれたアニメーションを感じた。戦闘後、ちゅるフェス回においてトラウマに囚われていたあまねに添えられたらんらんの「手」が、今度はあまねからセクレトルーに向けられるという、「手あて」のリレー描写にかなりグッときた。これは復讐心に燃えるブラぺを追ってのばされるプレシャスの手にもつながるものだ。ゴーダッツサイドとプリキュアチームにおける「信」の対比もすばらしい。以前「東映アニメーションの期待のホープ」と形容した篠原花奈が(寺岡巌、
門由利子との3人連名のかたちで)絵コンテとしてクレジットされていたのもアツかった。

ドンブラ43話。鬼頭はるかの敵役である着ぐるみ漫画家・椎名ナオキ正体バレ回。序盤のどんぶらで交わされる「未来からキャラクターがやってくる」はるかの漫画についての会話が、そのまま本編の展開にかさなっていく流れにわらう。もうあと数話で最終回だというのに、次回44話の予告にてようやく犬塚とイヌブラザーあいだに等号がむすばれそうだという旨が明かされる。信じがたいことだ。



542


ひろプリ情報解禁。青キュアが主人公かつ、これまで追加戦士ポジションだった異界サイドのキャラクターであるおどろき。ヒーローガールにしっかりかけているキャラ造形もたのしみ。寺田志保の劇伴が好きだったので交代はざんねんだが、新しいスタッフがバンバン投入されていくのもプリキュアのたのしさのひとつなので、どんな感じにしあがっているのかひじょうにたのしみ。デパの解禁時よりもぱっと見の印象はよい。

夜、豚汁、ひき肉チーズオムレツ。うまい。豚汁は妹作。甘みがつよく、入っていないさつまいもを舌の上で感知した。

無の理がきわまりはじめている。精神がつらい。自分を守ることに務めざるを得ないのもつらい。ふつうにきもちが無理になっている。助かりたい。

夜、シチュー。鶏、玉ねぎ、にんじん、しめじ、大根、白菜。うまい。

深夜にHさんから電話。電話口にはQさん、Tさん、次いでSさんもやってきてにぎやかな様相。哀戦士を熱唱され、通話は切れた。

水魔12話。1stシーズン最終回。えげつがないと思った。グエルとグエルパパのZガンダム的眼前親殺し展開にうおおとなり、スレッタに出撃を説くプロスペラさん、というより能登麻美子の圧倒的なおそろしさに肝が冷え、Cパートのスレッタ-エアリアルによる無邪気な「やめなさい」ハンドプレスに乾いたわらいがでる。前話で和解してよかったね!なふたりを即引き裂く作劇。シーズンを通した「あつみ」を形成するのではなく、1話1話の「たのしさ」によって話が積まれていく感じがあったので、1期総体としてよかった!というより各話がおもしろかった!みたいな印象になる。こちらに提示する情報をかなり絞ったつくりだったので、2期でそれらが一気に明かされていくのがたのしみだ。この外側を見せない閉じたつくりは、スレッタの外のしらなさ(=母の絶対性)と対応するものとしてこしらえられているのだろうか?