不感症の裸体で(永遠にむすばれない)

ミッドナイト・ゴスペルの2話。1話をせんじつ観ていた。サイケアニメの皮をかぶってニューエイジ思想を啓蒙する、そんな作品として観た。サイケアニメの皮をかぶって、と書いたが、そもそもサイケカルチャーはニューエイジ思想とその根を同じにするはずで、まったく皮でもなんでもないのだった。多元宇宙的世界観のなかで、主人公がほかの宇宙へとシミュレーターをつかってアクセスおよびアバターを選んでヴァーチャル受肉し、そこで現地の人にインタビューをするというフォーマットで2話まではつくられていて、おそらくこの後もそうなのだろう。サイケアニメ=湯浅正明的な認識がわたしのなかにあるので、思ったよりも真面目な作風にギャップを感じている。『アドベンチャー・タイム』のひとがつくっているそうだが、友人Oがたいそうハマっていたのをしっているのでこんどこの作品についても尋ねてみようと思った。

モンゴル800がどうこうという話をラジオでしたが、そうするとapple musicのおすすめにもでてきて、10数年ぶりに2nd『MESSAGE』を聴く。親の影響で聴いていたバンドのひとつだが、わたしの小学生時代の身体に深く刻みこまれた音楽であるので、自然と血が騒ぐ思いがした。音づくりや録音にリキを入れていない感じもノスタルジーのための風合いとなって耳に入ってき、エモーショナルな気分になる。

するめとピーナッツを食みつつ、マルクス『賃労働と資本/賃金・価格・利潤』を100頁ほど読む。解説や付録にも目を通しながら読むに、さいしょに収録されている「賃労働と資本」は未完の上、発展途上のテキストであるようで、とはいえ「g-w-g'」の話をしているな?という箇所もちゃんとあらわれ、はじめに読むにはよいのではと思った。労働者向けに書かれているので、多少用語がよくわからないところ以外はすんなりと読みすすめることができる。もう130年くらい前に書かれたものだというのに、エンゲルスによる序文が「まさにいまじゃん」という感じで、彼らの射程の長さに目を瞠ると同時に、げんじつのクソさ加減に鬱屈となるのだった。次週以降、読んだことをラジオで話すことによって、身のうちに折りたたみたい。1冊読みおえたらここでも何かしら書くかもしれない。


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HDDからデータを探している最中、検索結果に大学時代に所属していた文芸サークルの座談会の原稿が上がってきて、思わずひらいてみる。原稿構成もレイアウトも見るに耐えない出来で、かつてのわたしを呪い殺しそうになるのだが、いまではぜったい削るであろうバリの部分がふんだんにのこっているおかげで当時の雰囲気みたいなものが原稿によくあらわれており、なつかしい感覚にとらわれた。座談にも参加している友人が、かつてわたしのやっていることに対して、いまも「**(サークル名)」をやってるんだねとネガではなくポジに評してくれたことがあったが、やっぱりこういう「場」をつくりたいんだなあと読みかえしていて思った。それは、ふだん生きていて、ほかのだれかと「語りあえない」ことのフラストレーションが起因になっているのだろうか? いや、そもそも「話すこと」あるいは「聞くこと」のたのしさを気軽に得られるような……? 対話なきよりよい世界などありえない、というところかもしれない。