うすのろパースペクティブ

しごとがいそがしい状態自体はきらいではない、と思った。それによって自らの時間がうばわれることに抵抗があるのだ。自らの時間によって自らのしごとをおこなえる状態がいちばん健康的なのだ。これを会社づとめの状態で継続することはおそろしく困難である。

夜、サッポロ塩ラーメンにしめじとソーセージと卵をいれたもの。ひさびさの断酒日だ。つかれると酒を飲むどころじゃなくなるのである。ねむい。ねる。

朝、ソーシャルディスタンスをとって電車にならんでいるのかと思った夫婦がならんでいるわけでなく立っていただけで、おい、となる。このおい、はいったいどこからどこにむけて発されているのだろう。交番の前の掲示板に貼りつけられていた「おい、小池!」という呼びかけ。

きょうもしごとがいそがしい。のだが、たよりない経験も気づかぬうちに役立つもので、目の前のしごとをまあまあこなせている自分の存在を実感する。これからもっといそがしくなっていくのだろう。ひとと会う予定だったが延期してもらう。雨がぱらぱら降っている。今日は冷房がいらなかった。勤務中、退職願をだす日を決めた。届でなく、願からにすることにした。


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夜、キムチオンザ冷奴とピーマンと冷凍の豚バラ、プチトマトを鷹の爪とクミンで炒めたやつ、ウォッカカルピス割も飲む

とうとう記事の余裕がひとつだけになってしまった。自動投稿、べんりだなとかいってられなくなってしまった。アイドルズの「ダニー・ネデルコ」のMVを観てなみだを目にため、グラストンベリーでのライヴ映像を観てぼとぼと紙のうえに落とす。なみだもろくなったなあと思う。そしてなんで泣いているのかといえば、詞がめちゃくちゃにいいのである。このサウンドにこのリリックが乗っかっていることがむしょうに泣けるのである。わたしは英語がまったく得意でないが、映画の台詞や歌詞をききとろうという意識をもつようになってから、ずいぶん立ち止まることが増えたように思う。この立ち止まるというのは言葉通りの意味でなく、意識が詩句に立ち止まるというニュアンスである。



unity!!!

人生から疎遠になる気配がする。それはどういうことなのか。