朝酒の境地

日が昇って、日差しがまっすぐに部屋に差しこむわずかな時間、とてもよい気分になる。この家に住み着いてからはじめての体験じゃないだろうか。こんなはやい時間にわたしは起きないし、夜からずっと起きているからこそであえる光景である。1億5000万kmも直進してきた光が、カーテンの隙間を抜けて、赤いちいさな破片みたいに壁に映って、消える。

わたしは休日、街へでるので、このようにして長く家に滞在していることがふしぎである。春めいた光と風のなかでたゆたうようなひきのばされた午前と、酒と料理と音楽ではげましたからだを文字によって解熱する深夜。おそらく東京へ来てからはじめての時間の使いかたのような気がする。学生時代、いまよりもさらに貧乏だった時代でも、こんなにひきこもっていることはなかった。どうやっていたのかはしらないが、月々6万ちょいの収入で、よくあんなに漫画や映画に金をつかって生き延びられたなと思う(まあ水溶き小麦粉を焼いて醤油で食べるみたいな、そんな時期もあったしなと合点はいく)。かといって、いまの収入も家賃などを差し引いたら手もとに残るお金はさほど変わらないことに気づき、なんともきびしいなあと思っている。人生がきびしい。気がくじける。


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今日はラーメンをつくった。先日のなんちゃってラーメンよりはなんちゃってじゃない、パイカを下茹でしてでてきた出汁をもとに、昆布と鰹節、それからにんにく、生姜、玉ねぎ、ねぎ、岩塩でスープをしこみ、煮卵とネギとパイカを具材にしてつくった。まだまだ改善の余地ありだがまあまあの出来、とりあえず鶏油が必要だ!と思った、ひきこもり生活中にラーメンマスターになろうかな


朝寝朝酒朝湯が大好きで、って小原庄助はいうけれど、朝起きてすぐ酒なんて飲めなくない?ってよくよく読みかえしたら朝寝してるってことは夜ふかししたのち酒飲んでるやんけ! そりゃあ飲めますわいな。つまり迎え酒がわからんということですばい。と合点したのち、朝寝が「朝寝ること」ではなく「朝遅くまで寝ていること」を意味するとしり、けっきょく起きてすぐ飲んでるんやな、となる。朝遅くならまだいいじゃないかと思う。夜早くまで寝てるもんね、わたしたち。

朝起きてすぐ、といったが夜起きてすぐなら飲めるのか?と自分に問うてみるも、思いだせない。ただ、明るいうちに飲もうというきもちにはならない。花見など、野外ではべつで、家のなかにおいての話だ。長年(?)の生活でしみついたパブロフの犬的なもの? それとも生態学で何かいえたりするのかしら? きょうは18時頃起きて、しばらくしてからブルグルを食べながらウォッカを飲みはじめたので、起きてからの経過時間ではなく夜であることのほうが優先されることがわかった。

もうずっと先回りの筆記がつづいていて、すさまじい時差を感じる。ここのところまいにち更新しているのに、つねに8本の余裕がある。この記事も5月にあっぷされる。そのことは書いているときには意識しない。ゆえに、あっぷするときに違和をおぼえる。そのとき書いていたことがいまの自分とずれるからである。自己同一性なんてものはかんたんにくずれるのだ。上等だ。狂っていこうじゃないか。