めいめいがめいめいをめいめいする

何か(出来事、感情、考えetc.)を共有する相手がいること。その何かを誰に共有するかを、わたしたちは何をもって判断しているのか。今日食べたもののこと、昨日会った友だちの友だちのこと、先週した大怪我のこと、半年前の引っ越しのこと、10年前のトラウマのこと……そのことがらの大小やかたちに依存しながら、わたしたちは何を誰に話すか/話さないかを選択している。SNSに何かを書きこんだり、写真や映像をあっぷするわたしたちは、「公開」することに対する抵抗が年々薄くなっている。瀬尾育生が『詩的間伐』のなかでこんなことをいっている。

ネットで詩を公開することに関しては僕はものすごく懐疑的ですね。これは公開の場所としては成り立っていない。いくつか理由はあるけども、一つは公開の場所には「境界」がなければならない。ここは出さない、ここから出すという「境界」がちゃんとできていないと公開というのは成り立たない。ふつうは編集者がいて出版社があって、それが手続きの場所になって印刷物として出てくる。ネットの空間にはそういう敷居がなくて、書き手一人の判断しかないから、暗い部分と明るい部分の境目がない。それと同じことなんだけど、ネットというのは名前のアイデンティティを本質的に作れない空間ですね。あそこでもしアイデンティティを作っちゃったら利用されるから出さない。匿名性がつねに侵入してくるわけです。したがって名前によって責任がとれない。責任を問えない。だからネットの空間は全体として暗がりになっていて、どう考えても公開の場、公的な場にならないと僕は思う。(稲川方人・瀬尾育生『詩的間伐』)

公開のためには境界が必要だというのはわかる。が、このテキストは2003年のものなので、ネットに関しての認識の古くささは否めない。SNSが普遍化した10年代以降においてはネットもげんじつのアイデンティティと融和しており、むしろ主を担う場合だって少なくない。書き手一人の判断しかない、というのもべつにネットだけの特性ではなくて、たとえば個人詩誌は同じく書き手一人の判断で発行されるし、商業誌であっても編集の目が入っているとは思えない文章がのびのびと書きちらかされている(これは詩の世界にかぎらない話だ、かつてはきちんとした編集者がいて、そこに公開の責任を負う矜持が維持されていたのだろう、わたしも反省しなくてはならない)。いや、こんな話がしたかったのではない。瀬尾はこうもいう。

結局、書き手は読者を選択できない。書いているとき、手元に原稿があるうちは、頭の中で最良の読者を想定している気がするんです。このひとだったらわかってもらえるというひとに向かって書いている気がするわけ。だけど手が離れるととつぜん最悪の読者が登場してくる(…)もっと言えば、たとえば宮澤賢治の場合には草稿まで活字にされるわけでしょう。著作権から言ったら本人の承諾はもちろんないわけだし、本人が出さないと判断したものを出して、それで全集を作っているわけですよね。どうなんだろうと思いますね(…)ことによると「公開」の条件を考えるのも、一つの抵抗の作り方なのかなとも思います。(同上)

これは2002年のもの。これを踏まえて、2003年の稲川方人

詩をうまく書くことはおろそかにできないというのはもちろん重要なことで、それは公開され、手続きを踏んでひとに読まれる、そこでつまらないことはできないということがあるわけじゃないですか。それはおのおのが持たなきゃいけない責任で、そこはあまり公言できない。だらだら言ってもしょうがない。自分の作品がどういう形で公開されるかということの責任みたいなものは個々にある。(同上)

上記の話とはまったく関係ないが、この記事を書きはじめた日(2020.4.25)に詩を書いたので掲載する。この「まったく関係ない」というのは着想源の話で、「公開」という点では関係があるに決まっている。

ラカン


荒川洋治と打とうとしたら
ラカンパーニュと自動的に文字が打たれて
検索結果がでた
 
à la campagne(ア・ラ・カンパーニュ)は神戸発のパティスリー。南仏プロヴァンスをイメージした温かみあふれるスイーツ、ケーキ、タルトやカフェは女性やカップルに大人気。
 
わたしは男性で独身なので
そこから排除されていると思った
温かみあふれるスイーツの
容赦のないつめたさ
 
さて
なぜ打とうとしたかというと
「完成交響曲」という詩に感銘を受けたからであるが
もう時刻は三時をまわっており
わたしは阿羅漢のような顔をして
ウトウトしている

こうして一気に詩を書ききるのは2019年9月13日、なにもかもに疲れて詩集をたずさえて江ノ島に海を見にいった日以来である。そのときの詩も載せておく。

海を訪ねに
 
 
通ったみちがみちになるのか
くたばったくだものの皮が
波を聴いている
飛べなかったビニールの傍で
何も運ぶもののない重機が
エンジンを蒸している
ひとの話す声が
かぎりなくちいさいことをしる
 
降りていく
ひとりのこらず
しっかりとした足どりで
疑うこともなく
馴れ親しんだ帰り道のように
 
砂に向かい、吠える
みんなふたりぐみをつくって
はぐれないように名前を呼びあう
足もとの貝殻がわれている
許されている、
あらゆるわたしたちが許されている
 
回復の風が吹いて
灰色スニーカーを履き
メガネをかけたわたしが
善行団地に住まう七十八歳中国人男性が
行方不明だという放送が鳴る

書いた詩をネット上に発表するのも約2年ぶりである。なぜそうしたのかといえば、これらは詩集としてのこらない詩だからである。正確にいえば、のこさない。のこさないゆえにのこすとはへんな話だが、これまでわたしがインターネットに掲載してきた詩は、基本的にのこさないと決めたものばかりである(たんぶらーに掲載しているもののうち、1編だけ、かたちを変えて、第1詩集となるはずの原稿のなかにおさまっている)。のこさないものばかりをのこしていて、馬鹿じゃないかと思う。大馬鹿なのである。