トータルで手なべの把手たる垂木

午前に起床。フランスパンに茹で卵を挟んで焼いたのを食べ、自らの確定申告のまえに祖父の医療費控除のための書類作成に取り組もうとする、が、書類が足らずストップし、自分のものをやりはじめる。freeeとかマネーフォワードとかつかうのがいいよと友人からはいわれているが、安定した収入がない状態で定期支出を増やすのはキツすぎると躊躇してしまっている。てきとうに入力した結果、退職年度ということもあって多少の還付金がでるのはわかったが、青色だの白色だの開業届だので脳が犯され砕け、作業は途中で行きづまる。道のりはけわしい。

夜、明太子かつぶしポテサラ、豚肉と椎茸とあぶらげとキャベツの味噌山椒炒め。山椒ラブ。ポテサララブ。

ラジオ、140分くらい。つよい問いがリスナーからあらわれて、ウンウンうなることになる。避難所における性暴力について。それをどうアーカイヴしていくかという問いかけであったが、それをどのように「聞く」ことができるかという、受け手の姿勢についてカロリン・エムケ『なぜならそれは言葉にできるから』を援用しながら話をした。話すこと、聴くこと。極限状態という環境の作用についても触れた。非常時の身体。非常時の精神。


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起床、朝食withザンボット。18-19話。観ているあいだに盟友Aからビデオ通話しようよと連絡がきて、する。90分ばかし。確定申告について昨晩わたしが尋ねたのがきっかけになった。近況をつたえあい、わらいあう。19-29の10年と、29-39の10年、どっちのほうが変化がおおきいだろうねとふたりで考える。わたしたちは東京で出会って10年である。彼はいま埼玉に住み、わたしはいま福島に住む。10年後、わたしたちはどこで暮らしているだろうか?

ザンボットのおそろしいポイントのひとつに、ハードなストーリーラインの裏で、殺戮をおこなうガイゾックの面々がつねにふざけているということがある。どんちゃん騒ぎをしながらメカ・ブーストを発進させ、お気楽ムードで街を破壊し、ひとの命を殺める。そのギャップのはげしさが、単なるシリアス一辺倒ではない深みを物語に与える。喜怒哀楽の合間の谷が、深ければ深いほど、わたしたちは感情をゆさぶられる。「日本からでていけ」「おまえらがいるから襲われるんだ」と序盤に神ファミリーをさんざん罵倒し、怒りに任せて彼らの母艦キング・ビアルのブリッジを破壊してまわった香月が、この終盤にきて、おれが人間爆弾になって敵の戦艦のなかで自爆してやると啖呵を切る。その跳躍のすごみは、前半の展開があってこそである。

テレビから流れる追悼式典で菅と天皇のスピーチを聞く。ふたりの口からでる御霊、という言葉。スピリット。わたしにはおいそれとつかえる言葉ではないが、あなたにとってはどうですか。死んだひとたちは、彼らののたまう「御霊」とやらに成り果ててしまうのですか?

カネコアヤノの「閃きは彼方」のMVを観、リヴスコールを聴く。作品を生まなくてはいけない。