かつてをふりかえるような仕草できみと話すことができない

昼夜がゆっくりと廻転していく。ザンボットを観ながら朝食。神ファミリーとガイゾックの戦いに巻きこまれて両親を失った幼子が、目の前にそびえ立つザンボットに対しても恐怖をおぼえたり、ザンボエースが放り投げた敵の砲弾が避難していたひとびとを爆散させたりと、巨大ロボットで地球を守るリアリティの追求がすごい。震災にひきつけて言及するのならば、劇中にでてくる仮設避難所は、2011年のげんじつの東日本で設置されたものよりも、ひろくてプライヴェートが確保されている。本作は1977-78年のアニメ-フィクションである。

家事を片づけ、ブログを書く。本や映画のことになると書くのに時間がかかるが、その過程がしらない知識をあたまにたたきこむ運動にもなっているので、それはそれでよいかというきもち。読みっぱなし、見っぱなしにしない、という姿勢を保てるだけ保ちたい。ラジオとブログの二重構造で、あたまに浮かんだことをつかまえておく。それらがやがてわたしからちがうかたちででていく。メイトー秩父メープルプリンがうまい。

午後にも富野由悠季無敵超人ザンボット3』。午前もあわせて13-17話まで観る。ザンボットの代名詞でもある人間爆弾がいよいよ登場し、物語のあまりの苛烈さにかわいたわらいさえこぼれでる。イデオンでもちいさな子供に対して圧──というよりも殺をかける展開/テキスト/演出があったが、先行作品である本作においてもそれはおこなわれており、人間爆弾がはじめてお目見えする16話「人間爆弾の恐怖」では、主人公勝平とともにザンボットを駆る宇宙太と恵子の幼い弟妹たちが敵の手中に落ちることとなる。ガイゾックは彼らの命と引き換えにザンボット3の受け渡しを要求し、兄姉であるふたりは、地球を守るためには犠牲も致し方なしと弟や妹を見捨てる決断をするが、勝平は「そんなの嫌だね!」とちゃぶ台をひっくりかえす。「あの3人の命を助けられないで、何が地球を守るだ!」。その言葉にハッとしてパイプを落とす、神ファミリーの長老であり統率者である兵左衛門。宇宙太と恵子の覚悟のすさまじさに、勝平の向こうみずな熱血ぶりをぶつけた、すぐれた脚本である。そもそも勝平たちだってまだ12-15歳の少年少女だ。残酷な話だが、少年少女が強大な敵と戦うヒロイズムに、わたしなどはすぐに惹かれてしまう。そこには、本作15話「海に消えた老将」でも描かれていた特攻精神にもつながるあやうさがある。傑作回であろう17話「星が輝く時」の終盤、人間爆弾の素材集めとしてメカ・ブーストが掃除機のように人間を吸いとるさまを見て、ルネ・ラルーファンタスティック・プラネット』の人間狩りを思いだした。そこからすさまじいラストシーンを経て、エンディング曲「宇宙の星よ永遠に」に至るわけだが、「輝け! ぼくらの星よ 永遠に輝け」というそのラストのリリックにふたたび打ちのめされるのだった。次回予告の「さあて!」の気合の入りようがこれまでの回と異なっていたのもアツい。最終話は23話。クライマックスがちかい。


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食事の支度。人参とそせじのクミンスープ、ほうれん草入り炒り卵。昨日のそぼろもつけあわせる。味がなじんで昨日よりうまい。食後はケーキも食べる。カスタードとクリームの二重奏! ダープロを聴きながらインターネットをうろうろし、合間にテキストを書いたり、麻雀を打ったりする。萎え落ちするにんげんは回線の代わりにゆびがすべて切断されればよい。