ジ・アングル、ジオコントロール、

ラジオのためにプリキュア楽曲ベスト10を編んでいるのだが、無理では?となっている。事前に素案は編んであって、放送間際にもう1回聴きなおせば大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、ちゃんとやるとなると聴いていないアルバム(キャラソンなど)があまりに多く、こんな不徹底な状態ではつくれないなと思ったのだった。

オトプリ7話。うらら回。窓から差しこむ光に向かって台詞読みをしながら腹筋をするうらら、という幕開けの画は彼女の姿勢をいちまいでわからせるすぐれたオープニングだと思った。のぞみのそばにいろ!とナッツがココに鉄拳制裁をしたり、うららのキャラソンを聴きながらシロップが飛行していたりと、とにかく小ネタがいい(なんか出た!)。ココの住む物件の賃貸借契約書にくるみが勝手にサインをしてしまうシーンではニチアサっぽいデフォルメ演出が為されていて、いいな!と思った。ニチアサぽいといえば、うららとシロップの対話シーンにおける影と光を用いた立ち位置演出も定番のもので、シロップのはげましを受けてうららが先に歩んでいく流れもよかった。満薫もいよいよ本人が(顔がまだ伏せられているとはいえ)登場。予告にはほのかのおばあちゃんまででており、終盤はだいぶ加速していくのではないかと思わせられた。脚本は成田良美、演出は安東大瑛。いい回だった気がする。次回はこまちさん回のようだが、予告を見るかぎりは想像していたよりは重くならなさそう?

夜、チキンカツ(惣菜)、鶏豆腐卵スープ、豚豆腐玉ねぎの白だし明太子炒め。うまい。

窓の外を見るとみぞれが降っている。チャリの季節もおわりにちかい。

ワーク。山脈におけるひとつめの山にけりがついた気がする。

組版にかかわるワークをすすめているということもあって、読みさしてあった阿部卓也『杉浦康平と写植の時代』をふたたび手にとる。第1章読みおえる。おもちろい。たとえば以下。

デザインはマーケティングの実現手段として立ち位置を作ってきた業種である。この当時もそれ以降も、日本のデザイン業界のメインストリームはあくまで広告分野だった。そのようななかで、杉浦や当時の杉浦の盟友だった粟津潔など、人数的には非主流派だが、商業性や直接的な経済活動への貢献度とは別の評価軸で活動を持続した、つまり(あくまで便宜的な言い方だが)、「文化寄り」の領域に軸足を移したデザイナーの系譜がある。造本や本文組みの分野に進出したデザイナーはそこから数多く輩出されることになり、(…)この分岐は、(…)いくつかの要因があるのだが、その一つとして「デザインにおける日本語の扱い」という問題意識があった

「この当時」とは1950年代末頃の話で、「日宣美の作品などでは、アルファベットをまばらに配しただけのポスターを、みんな平気な顔をして出品して」おり、「漢字かな混じり文」という「乱雑な」表記体系をもった「日本語を使ったデザインに挑戦せずに」いる応募者たちを横目に、杉浦は「それではいけないはずだ」という問題意識をもっていたことを回顧している。そこから杉浦流の字詰めのスタイルが生まれていく、という流れになっているのだが、そこで彼が着目するのが「音の連なり」「音の響き」であるというところに脳天を打たれるのだった。見映えがそれを要請しているのではなく、文字がそのうちにもつ音韻が要請しているということ。わたしも自身の作風を遡行すれば杉浦康平に行き着くので「おまえはそういう意識で組版を考えているか?」と刃先を突きつけられるような読書になっている。



ぶっそうなグラフィックがつづきますね


今月のよかった新譜、みたいなものをいちまいの画像にまとめてついにあっぷしているひとを見、流通のことを考える。わたしはこのようにして言葉が流通しているのに対して抵抗がある。なぜか。読むことではなく流通そのものが問題化されているからである。そこに用いられているデザインや文法は、読むことを目的に使用されているのではない。バズのために技術が動員されているのだ。バズは金をうごかす。資本の論理が言葉の、デザインのかたちを変容させる。端的に不快だ。杉浦康平の広告デザインを忌避する文言を読んだわたしの眼が、そのように論評していた。

Apple Musicのニュー・ミュージック・ミックス、いつにもまして精度がよかった。Julia Takada「too late?」、Shirotsume「long summer vacation」、uguisu-naku「sympathy for the devil(reprise)」、sunwatchers「there goes ol' ooze」、mermaidens「sour lips」、bas jan「Margaret calvert drives out」、sam akpro「death by entertainment」、ian sweet「clean」など。ian sweetに関しては以前もいい!と思ったのを思いだし、記憶のより深い階層に刻まれることとなった、