インターネットで消費されたくない。インターネットの消費空間のなかに身を置きたくない。その渦に巻きこまれたくない。わたしは人生に関係したい。あなたの人生の一部になりたい。なんて重たいにんげんなのか。この傾向が、これまでおおきく人生を左右してきた気がする。
夜食、ハムとチーズと小エビのフェットチーネ。うまい。ひとり暮らし時代にはさんざ頼っていたパスタも、こちらにきてからはとんとつくることがなくなり、数カ月ぶりに麺を茹でた気がする。
池田洋子『映画 プリキュアスーパースターズ!』(2018)。まほプリ、プリアラ、ハグプリの3作体制の春映画。「嘘と約束」がテーマになっていて、スマプリ映画のことを思いだした。後半にバンクシーンはあるのだが、序盤の変身が一瞬光るだけで済まされていて、新鮮だった。そうした箇所で時間を削っているぶん、例年に比べてプリキュア同士の絡みに時間を割いている気がした。目と目で語りあるミラクル×マジカルはまほプリ本編を観ていなくてもグッとくるものがあったし、決めポーズをしながら落下するパルフェも、プリアラ本編を観ていなくともそのアクション自体からキャラクターを察することができておもしろかった。また、ハグプリの主人公、つまりは本作のメインキャラクターに据えられている野乃はなを映す際によく用いられていたのだが、後ろ姿のカットのつかいかたも興味深かった。プリキュア映画は「顔映画」であるとも思っていて、そこに子供たちを惹きつける引力があるわけだが、あえてそれを破ることによって、印象的な画面をつくりだしていた。
買った品々が続々とどく。トロプリ映画のパンフとクリアしおり。子供向けのつくりだが、ストーリーが載っていて、ふりかえりに役立つ。しおりは3枚買い、ブロッサム、マリン、サンシャインのハトプリチームがでる。この出目だともう1枚買ってムーンライトも揃えたかったきもちがあらわれる。
トロプリ特集のアニメージュ、まだパラパラとめくっただけだが、すごい情報量。買ってよかった。スタッフとキャストへのインタビューが主なコンテンツとなっていて、となると聞き手の切り口が重要なわけだが、しっかり作品を観ていることがわかる質問をしていて、信頼できる。この感じなら、過去のシリーズの特集号もあつめたくなる。20周年時にまとめ本みたいなムックがでないだろうか。全シリーズをがっつりまとめた極厚鈍器のプリキュア大全、ほしいよな、、
さいごまで読む。トロプリファン必携の充実度。付録のクリアファイルふくめてちょうよかった。紙幅は1頁ながら、監督を務める土田豊の単独インタビューが気概にみちたものでとくに惹かれた。「「プリキュアシリーズ」は、スタッフの意識の如何に関わらず、絶賛堕落中だ」との言からはじまり、「この文章を読むことのないであろうメインターゲットの子どもたちに喜んでもらえることを目標に制作しています」と締める構成もよかった。
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木下惠介『二十四の瞳』(1954)。つまらなくて途中寝てしまった。名画と名高いがちょっときつかった。観たことのない作品をひきあいにだしてなんなのだが、山崎貴『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)を手放しに称賛できるひとは本作も好む傾向があるのではないかと思った(これは単なる偏見かも)。そんなムードを感じた。田舎の小学校に赴任してきたハイカラな女教師が、「異」を標的する陰湿な村社会のなかで逆境にめげずにがんばっていく話という導入から、戦争というバックグラウンドのなかで教え子や自らの子を次々に失っていく悲劇的な物語に突入していく本作。作中、福島聡『星屑ニーナ』を彷彿とさせる時間の飛躍がいくつもあって、タイムスキップコメディならぬタイムスキップトラジディだなと思った。
唱歌や軍歌など、「歌」に多くを仮託した演出法がとられているのだが、そこにこころがゆれない。泣きどころでかかる「七つの子」がまったく響かない。これは70年ちかい年月が生みだした時代の断絶といってもいいだろう。わたしたちは唱歌や軍歌に親しまないまま学校に通っていた。主人公の教師が教え子に対して告げる「自分ばかり不幸だと思わないで」というクソのようなはげましも最悪だった。そういう考えがおまえの忌み嫌う軍国的全体主義につながっているのではないかと思った。タイトルの二十四の瞳は教え子の瞳の数をあらわしているのだが、12人もいるとそれぞれのキャラクターが不明瞭で、そこも乗れなかった理由のひとつになっている。
また、歩いたり走ったりする移動シーンを分割した上でそれなりの尺で描写しているのも本作の特徴なのだが、そのリズムにも乗ることができなかった。冒頭と終幕に配される主人公が自転車に乗っているシーンは情感が立ちのぼる余地があってよかったが、そのあいだで同様のカットがあまりに乱発されるので飽き飽きしてしまったのだった。
母の死を告げるシーンで家の外に鶏が歩いているのだが、そのユーモアはよかった。すぐさまその死んだ母が産み落とした赤子も死んでしまう残酷さに対して、我関せずの飼い鳥がちらちらうごめいていることの落差。足を痛めた先生の見舞いに長い道のりを歩いていくシーンで、男児の手に長大な枝がにぎられているのはよかった。時代によって途切れることのない、子供のまっすぐな欲望、無邪気さがあった。
爆睡。はやく起きるためにはやく寝床に入ったのに、日が変わるまでねむれず、なおかつたくさんねむってしまう。そのままみうごきできなくなり、年が変わるにじかんほどまえにふっかつする。年越しそばを食べる。うまい。