はりきりのそらの光

29地図の「2021年・映画ベスト10&ワースト3」回のpart1を聴く。今年は映画館に数えるほどしか行けなかったので名前の挙がる映画を9割9分観ていないのだが、語りがおもしろすぎてたのしく聴けてしまう。

トロプリ44話。放映前からL字放送がかなしすぎる、と思っていたらL字ではなく画面の右側を日本地図が占有し、なおかつその沿岸部がチカチカ点滅していてマジでさいあくだった(人身事故に出くわしてキレるひとみたいな心性ですね、ちょっとちがうか)。なにもこんなクライマックス回でやらなくてもいいじゃないか、、と思いつつ観る。

まずサブタイトルを読み上げるまなつの声音がすばらしかった。いつものはじけるトロピカボイスと打って変わったしんみりとした芝居が、本作初の「!」のないタイトルのもつ情感をしっかりと伝えていた。ようやくすべてが明らかとなったあとまわしの魔女と伝説のプリキュアの関係性にこころをうごかされたのはたしかなのだけれども、情報過多のためかコンテにブツ切れ感があって全体的にあまり好みでない作劇で、しかも青山充作監回なのでシリアスが丸みを帯びている感じもあり、ふくざつなきもちになった。絵コンテ・演出は佐々木憲世。人魚姫のように「泡になって消える」演出(というかト書き)にはしびれた。ボスとして君臨していた魔女がはげしいバトルもなく成仏してしまったので、のこりの2話はだいぶ消化試合なのではと思ったが、まだローラとまなつ(たち)の「人魚の記憶」問題がのこっていたことを思いだす。予告を見るに、次回は作画に気合が入っていそう。

サマーが自身のからだをつかってオアシスを降霊させる場面は「おれのからだをみんなに貸すぞ!」(機動戦士Zガンダム)じゃん!とテンションが上がった。愛すべき敵幹部のエルダとヌメリーはこんな状況下でもほほえましくたたずんでおり、ヤラネーダ化していたチョンギーレもぶじに生還してよかった。バトラーの一途さも泣ける。まいどのことながらエンドカードがヤバい。

バイス18話。オープニングなし演出、アツいよね! 劇中のキメのバトルシーンでop曲流すのもたぎる。ヒロミさん、、となる次回予告。マジで退場しないでほしい。

ゼンカイジャーも観た。向かい風を吹かせる敵に対してうしろ向きに移動し、そのままの姿勢でたたかうことで対処するくだらなさ。ステイシーくんの魅力はビンビンに伝わってくるのだが、途中からというのもあってそこまでハマりきれない。プリキュアとスーパーヒーロー戦隊のフォーマットのちがいを感じる。シリーズを通しての縦軸と横軸への身の寄せかたのちがいといってもよい。


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よくはたらく。

夜、鶏と長芋とねぎの煮っころがし、卵スープ、もやしのラー油味噌ナムル。

家族への嫌悪はきつい問題だ。いっしょに暮らさざるを得ないにんげんとの相性がよくないのはさいあくだ。家という場所の「狭さ」は学校や会社とは比較にならず、転校や転職という逃走手段をつかうこともできない。婚姻の関係にない親子などの立場であれば「離婚」することも不可能であり、「家出」の選択も年齢や経済力によっておおきく制限される。

マリオ・バーヴァ『知りすぎた少女』(1963)。少女?といまタイトルを書いて思った。ジャッロ映画の原初的1本だそう。主人公がスリに襲われるカットの移動撮影や、水たまりを使った幻影ショットなど、各所で構図と撮影がキマっていて目がたのしかった。ナイフを抜く男の顔の陰影や、緊迫感をあらわす際に使用されるフィジカル感のあるズームショットもいい。げんじつと夢の境目となる病室のベッドでの医者たちとの切り返しもso cool. 「女であるからナメられる」ことが最初から最後まで作品の底に走っていて、主人公を助ける親切な男・マルチェロでさえも「君は無力で孤独に見えるから」となめくさった台詞を吐き捨てるので思わずわらってしまった。目を見開く際の、主人公ノラのスンとした顔がとてもよい。幕切れの剽軽さも茶目っ気たっぷりでよかった。

ジャッロは今年掘っていきたいジャンルのひとつ。ユーネクストにそれなりに作品があるのでちょくちょく観ていくつもり。ダーシャ・ネクラソヴァの『The Scary of Sixty-First』(2021)は日本で公開されるだろうか?(きっとされないだろうの意)