昨日のあまりで朝食。妹が社会人になって以来の長い連休に突入しており、よろこんでいる。わたしもいっしょによろこんでいると、あなたはいつも休みみたいなものでしょうと指摘され、さらによろこんでおく。よろこんでいる場合ではない。
テキストの編集のしごと、フライヤーデザインのしごと、洗濯などをやり、ビレ・アウグスト『愛と精霊の家』(1993)を観る。スケールのでかさをまず感じ、わたしの観ている傾向ももちろんあるだろうが、最近の風潮としてはちいさいサイズの作品が多いのかもなと思ったりする。どっちがよい、という話ではないが。3世代にわたる家族の物語と、激動するチリの歴史の絡みあいを、よく146分に圧縮したなと、上下巻に分かれるほどの大著である原作を思い浮かべながら観た。この映像化は映画として独立した作品にしようという意識が感じられ、それ自体はよい手つきだと思った。
役者がとにかく豪華な点も気になるポイントだろう。メリル・ストリープ、ウィノナ・ライダー、ヴィンセント・ギャロ、アントニオ・バンデラス……。クララの子供時代を演じる子役グレイス・ガマーの芝居もすぐれており、調べてみるとメリルの実の娘だという。ノア・バームバック『フランシス・ハ』にでていたとあったが、そっちはまったく印象に残っていない。そんな彼女が演じるクララが大人になると、役者は実母であるメリル・ストリープになるのだが、これが妙におもしろかった。彼女のもつ超常能力と、見た目における年齢の不明瞭さがかたちづくる不気味さが絶妙な交点をむすんでいて、得体がしれないのである。年齢を重ねると年相応のヴィジュアルになるのだが、青年期のクララはヴェールで顔を覆っているシーンが多いとはいえ、けっして設定にそぐうすがたをしておらず、その違和が存在として立ち上がっていた。ウィノナ・ライダーははちゃめちゃにかわいく、ヴィンセント・ギャロはキレキレのするどさだった。わたしの好きなフランツ・ロゴフスキもこのタイプの顔立ちだなと気づいた。
原作をしらないひとは本作をどう観るのだろうというな正直なところで、わたしはあまりよい映画と思えなかったのだが、つくりの実直さは好ましく思った。そもそもなんでデンマークの監督が撮っているのだ? ドイツ・デンマーク・ポルトガルの合作になっているのを見、チリでチリ・クーデターを題材とした作品を撮ることのむつかしさを思った。『コロニア』を撮ったフローリアン・ガレンベルガーもドイツの映画監督ではなかったか。
米を炊き、鮭とブロッコリと大根のカレーをつくる。インデラカレー缶、クミン、コリアンダー、カルダモン、ブラックペパー、ホワイトペパー、カイエンペパー。塩、醤油、昆布茶。はちみつも入れる。うまい。シャバシャバタイプ。鮭カレーの発想は、東京を引き払うまえに下北のムーナで食べたのに起因する。玉ねぎがひと玉しかなくても、にんにく・生姜なしでも、まあまあいけるじゃんと思った。
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夜はOとAさんとの通話。それぞれのさいきん観たり読んだりしたものの話をしているうちに、同人誌をつくろうという話がふくらみ、うごきだす。べつの冊子についての連絡もきており、さらにはテキストについてのレスポンスまでとどいてウオオ、とてんてこ舞いをおどる。同時にやろうとしてはいけない。教訓です。
そういえば、テキストを先方に送りおえたころ、かつて手がけたフライヤーがメルカリに500円で出品されているのを発見したのだった。しかも出品者は群馬に住んでいるとある。そんなところまでとどいていたのかと、おどろいたりうれしがったりふしぎがったりして、わらってみたりもする。
本はせめて明日さいしょの1編を読もうと決める。