デラックス・ラテックス

富野由悠季機動戦士Zガンダム』を観ながら朝食。15-20話まで。相変わらずずっとおもしろい。ベルトーチカって川村万梨阿なんだ!としる。彼女がアムロにとつぜんのキスをしたあとに言い放つ「女の愛撫で男を奮い立たせることができるのなら、女はそれをする時もあるのよ」(16話「白い闇を抜けて」)。なんちゅう台詞だろうか。子供向けロボットアニメで放たれていることは信じがたい内容とその言い回し。そしてそれに対応するような、ベルトーチカに対するカミーユの「それは女のわがままですよ。そんなことで男を殺すってこともあるって覚えておいてください!」(20話「灼熱の脱出」)。こうした濃度の台詞がバンバン飛びだすのが、Zガンダムの魅力のひとつである。19話「シンデレラ・フォウ」の「知っている人がいてくれるから、生きていけるんだろ!」というカミーユからフォウに対する激励もアツい。

フォウ・ムラサメといえば、どうも自分のなかでロザミア・バダムと印象が被っていたのだが、こうやって本編を観ることによって存在が分離されていく感覚もあった。それにしてもサイコガンダムのでかさよ。同じくややでかめのMSにアッシマーがあるが、それを駆るブラン・ブルタークパイロット能力めちゃ高くないか? アムロカミーユというニュータイプの超級パイロットふたり相手に互角に渡り合っていて衝撃を受けた。早々に退場してしまうのはかなしいね。

ほか、これまで最年少のパイロットであり、大人たちからの「修正」の対象であったカミーユが、カツというさらに年若い人間があらわれるにつれて「大人」としてもふるまうようになっているさまに感動したり(15話「カツの出撃」)、なんだかんだいって死を前にしたときにカミーユの脳裏に浮かぶのがファである(16話「白い闇を抜けて」)ところに胸を打たれたりする。前々から登場していたが、目だけがプルプルする演出もたのしい。これはラジオで話す。

麦茶のポットが空になったので、新たなものをつくろうとティーパックに手をかけると、ささいなちからでやぶれてしまい、なかの粉末があたりに飛び散った。今回の製品はパックの繊維が薄く、駄目にしてしまうのはこれで2度目だ。シンクや床にばらまかれた焦茶色の粉を地道に片づけながら、窓から差す日差しのつよさに春の陽気を感じる。

午後はレスポンスがかえってきたテキストの再考。案を考えることよりも、それをどう伝えるかに時間と労力がかかる。ニュータイプであったなら一瞬で伝えあうことができるのだろうと羨ましくなるが、それはそれでトラブルも起きまくるのだろうなと苦笑いを顔に浮かべる。なんとか完成させて送りおえ、夜、チャーシューとピーマン炒め。塩胡椒のみ。カレーや油味噌などとともに食べる。いくら塩分があるとはいえ、油味噌も今月中に平らげなくちゃな気がする。


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夜はフライヤーデザイン。制作初日にパッと配置した図版をいろいろと差し替えていたのだが、けっきょく元のやつがいちばんいい感じで、直感も馬鹿にならないなと思った。その直感もこれまでいろいろ観たり読んだりしたものの集積としてあるわけなので、そりゃそうだろうと隣に座るわたくしが茶々を入れ、わたしもウンウンと頷きながら文字のサイズなどをチロチロといじくる。週末にでも第1案を投げられればよい。

同人誌についても思案。3人の執筆者に対して8p。どうつかうか。などと考えているとテキストについてまたやりとりがはじまり、といういちにち。こうやってクライアントワークが増えてゆけばもちろん自分の制作がおろそかになるのだが、かといってしごとがなくったってどうせのろのろちんたらの体たらくなのだから、「忙しい状態」であるほうが作品にもいい影響を与えるのはこれまでの経験で得た学びである。苛烈な感じでノープレッシャーにしごとと制作を両立させたいし、もっといえばそれが一体化すればよい。