晴れ間の運命をおれはパトロールできない

10月とか正気かよ、詩集ほんとはこの頃にだしたかったんだよ、貧困は切ないな、べつに金もちにならなくていいんだ、金のことでそうそうなやまないせいかつがしたい、足をひっぱられたくない、自らの欲望外のところで出費を食うのがほんとにつらい、会社用の靴底がベコベコ、もはやはがれる、おまえ雨水対策用の防水とかいっといてはやくに浸水しやがったよな、土日祝日のあいだにまた買いにいこうな、スーツ文化などぶっこわれればいい、そうすればこんな悩みともおさらばさ、いつまでスーツ生活をするのかわからないが、おれはずっと反感をもちつづけるよ、スーツを強制する場で反逆のモーションをとりたい、そのためには世にでていかなければならない、小説、今月こそなんとかするので来年の初夏、たのしみにしていてほしい、豪語する、おれの豪語をだれかにきいていてほしい、おれの声をうけとっていてほしい、人生はなかなかにうまくいかないが、木漏れ日が差すような出来事も日々にはあるんだよ、


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いやそんなものはない! と振り子のようにおれは否定の末路をゆかざるを得ない、人生はつねに敗北のきわまりである、ストローブ=ユイレをはじめて観た、アテネフランセである、壁がかわいくていいよな、ぜんぜんおもしろくなくてショックを受けた、賛辞ばかりきいていたので、、しかも好きな批評家の、、『ジャン・ブリカールの道程』の3カット目まではよかったのだがその後はだめだめだった、ドゥルーズだのベンヤミンだのの引用で埋め尽くされた配布テキストにも嫌気がさす、作品よりも批評がでかくなってしまうタイプのものは概しておもしろくないよな、、いや引用自体がわるいわけではなく、映画(X)というメディアでたたかうのであればその(Xの)うちだけで完結せずしてどうするというのか、インスタレーションじゃあるまいに、バックグラウンドのイントロダクションがない状態=映画単体で強度をもたないのであればどうしようもないだろう。内部で戦闘せよ。フライヤーの作品紹介やトークをきいていてとても萎えたので途中で帰ってしまった(でもきもちのわるいパンはとてもよかった!

二部のエルケ・マーヘーファー+ミハイル・リロフの作品群は〈カメラの欲望がわかる〉と思うカットがあるのと、切断のたのしみがある(ストローブ=ユイレの作品はタルコフスキーのいうようなカットのなかのリズムが死んでいるようにしか思えない)、さらに時おり『サン・ソレイユ』的よさがあるカットがあってわりとたのしめた(よかった、といえるかと問われたらまだよくわからない)のだが、これまたトークが台無しにしてまうのだな、、、いやそんな作家の意図なんて観者にとってはdodemoii(TENG GANG STARR)んだけれども。